ISに殺害された米記者、「友人のため脱出諦めた」 元人質が証言
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【3月19日 AFP】昨年8月にイスラム過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」に殺害された米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー(James Foley)氏は、1人でなら脱出できたのに友人を見捨てられないとの理由で逃げるのを諦めていたことが、同時期に拘束されていたスペイン人記者の話で明らかになった。
ハビエル・エスピノサ(Javier Espinosa)記者は、ISに拘束されていた2013年9月~14年3月の体験をつづったスペイン紙エルムンド(El Mundo)の連載記事の中で、フォーリー氏が英国人カメラマンのジョン・キャントリー(John Cantlie)氏とともに2度、脱出を試みていたと語った。
■「ジョンを残しては行けない」
エスピノサ記者は、同じくスペイン人のカメラマン、リカルド・ガルシア・ビラノバ(Ricardo Garcia Vilanova)氏とともに拉致された後、シリア・アレッポ(Aleppo)北部の工業団地に移送された。そこには、フォーリー氏ら21人の人質が拘束されていたという。
「フォーリー氏とキャントリー氏は2回、脱出を試みた。1回目は始まる前に失敗に終わった」と、エスピノサ記者は16日掲載の記事で明かした。「2回目の挑戦で、米国人記者は人として途方もないほどの『深み』を見せた」
エスピノサ記者によると、フォーリー氏は「人質たちが拘禁されていた部屋から抜け出すことに成功し、毛布にしがみついてキャントリー氏を待った」。だが、キャントリー氏は監視役に見つかってしまったという。
「フォーリー氏は一人で逃げることもできたのに、投降した。『ジョンを一人残して行くことはできなかった』と言っていた」
15日に掲載された連載第1回の記事では、ISが欧米人の人質をキューバのグアンタナモ(Guantanamo)米軍基地内のテロ容疑者収容施設を模した施設に拘束し、模擬処刑を繰り返していたことが証言されていた。エスピノサ記者によれば、人質たちは監視役のうち3人から拷問や模擬処刑を繰り返されたが、脱走を試みたキャントリー氏とフォーリー氏は特に激しく拷問されたという。
エスピノサ記者とガルシア氏が解放された5か月後の2014年8月、ISはフォーリー氏を殺害した。キャントリー氏は昨年10月にISのプロパガンダ動画で無事な姿が確認されたが、その後の安否は分かっていない。(c)AFP