【3月16日 AFP】アルゼンチンに広がる大平原の小さな町で育ったアウグスト・シカレ(Augusto Cicare)氏は、子どもの頃から飛行機に魅了され、古くなった母親のベッドの枠を分解してヘリコプターの胴体を作ったこともあった。

 18歳の時に小型モーターをつけて、初めて空を飛ぶ機械を作ったが、それは地面から数センチ浮かんだだけだった。その後も、モーターを強力にしたり、金属材料を変えたりと試行錯誤を重ね、ついに3年後、中南米で製作されたヘリ第1号となる「シカレCH-1(Cicare CH-1)」が誕生した。1958年のことだった。

 それ以降、シカレ氏は超軽量ヘリ製作の事業に情熱を傾けてきた。現在は、大豆畑に囲まれたブエノスアイレス(Buenos Aires)州サラディージョ(Saladillo)に工場を構え、世界中の顧客の特別なニーズに応えるヘリコプターを製作している。77歳になった今も、2人の息子に約30人の製作者、エンジニアとともに年間20機前後の製作をこなす。

 工場には、米大手ヘリコプターメーカーのエアバス・ヘリコプターズ(Airbus Helicopters、旧ユーロコプター、Eurocopter)やロビンソン・ヘリコプター(Robinson Helicopter)、同シコルスキー・エアクラフト(Sikorsky Aircraft)、イタリアの航空防衛大手フィンメカニカ(Finmeccanica)などからエンジニアたちが、シカレ氏の自作ヘリを見ようと視察にやって来る。