アウシュビッツ生存者が語る「死の収容所」、解放から70年
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【1月26日 AFP】張り巡らされた鉄条網で感電死した女性の耳をつんざくような悲鳴、ガス室へ送られた子どもたち、絶え間ない死の恐怖──アウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所の生存者たちは、史上最も忌まわしい「死のキャンプ」での生活を驚くほど鮮明に語る。
生存者たちの大半は今や90代に達しているが、何人かは、27日に開催されるアウシュビッツ解放70年の記念式典に出席できる。現在のポーランド南部にあったナチス・ドイツ(Nazi)最大の絶滅収容所は、1945年1月27日にソビエト連合の赤軍によって解放された。
「感電して死んでいく人の叫び声なんて、想像できないでしょう」。生存者の1人、ソフィア・ポスムイシ(Zofia Posmysz)さん(91)は、共に捕らわれていた人々が自ら死を選び、収容所を取り囲んでいた電流が流れる鉄条網に身を投げ出していった様子を語った。
アウシュビッツと独北部ラーベンスブリュック(Ravensbruck )の強制収容所で3年間を過ごしたポスムイシさんには、今も当時の記憶が付きまとう。「鉄条網に引っかかった遺体を幾つも見た。夜になると、バラックから若い女性たちが出てきて、鉄条網に身を投げた。恐ろしい光景だった」
「つんざくような叫び声で目を覚ましたものです」と話すポスムイシさんの左腕には、今も囚人番号「7566」の入れ墨が残っている。