【1月19日 AFP】フランスで発生したイスラム過激派戦闘員による一連の襲撃事件の余波の中、「表現の自由」の重要性を強調する仏当局が、他方で「テロを擁護する」とされる発言をした人たちを投獄できるという事実を、多くの人々が理解できずにいる。

 イスラム教の預言者ムハンマド(Mohammed)を風刺画に描くという、イスラム教徒らにとって極めて侮蔑的な行為を過去に繰り返した風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)が襲撃されたことによって、多数のイスラム教徒が住むフランスにおいて保障されながらも賛否両論を巻き起こしている「宗教を揶揄(やゆ)する権利」が注目を集めている。

 メディアの権利を専門とする弁護士、バジール・アデル(Basile Ader)氏は「表現の自由を推進しながら、自分の考えを表現したという理由だけで人々を刑務所送りにすることはできない」と語る。最近の実刑判決の厳しさは、感情と不安が入り交じった現在の風潮によって説明できるかもしれないと、同氏は指摘している。

 米国では、合衆国憲法修正第1条によって言論の自由の包括的な法的保護が事実上保証されているが、フランスではこれと異なり、法と慣習が複雑に絡み合っている。

 裁判官らは、過激派との闘いの必要性に加え、宗教的信念と根深い世俗主義の伝統、ユーモアに対する暗黙の権利、批評する権利をそれぞれ尊重する必要性の両方が求められる難しい状況に置かれていると、専門家らは指摘する。

 この微妙な線引きの一例としては、フランスの男性コメディアンで、その言動がたびたび物議を醸してきたデュードネ(Dieudonne)氏が、「シャルリー・クリバリのような気分だ」と発言したことにより、テロリズムを擁護した罪で訴追された事件がある。この発言は、シャルリー・エブド紙襲撃事件の犠牲者を追悼するために世界中に広まった「私はシャルリー」とのスローガンと、パリ(Paris)で女性警官1人とユダヤ人4人を射殺したアメディ・クリバリ(Amedy Coulibaly)容疑者の名前を組み合わせたものだ。

 フランス全土で数百万人が言論の自由を支持して街頭デモに繰り出したのもつかの間、その後数日の間には、同様の事件の裁判で1年~4年の実刑判決が次々と言い渡された。

 なぜだろうか。デュードネ氏は過去に何度も反ユダヤとみなされる発言をしたことがあるかもしれないが、同氏(や他の人々)が改めて逮捕されたことで、疑問の声が上がっている。