【12月18日AFP】1958年、米サウスカロライナ(South Carolina)州にあるグレッグ家の庭に核爆弾が落ちたときのこと──地面には大きな穴が開き、数羽の鶏が死に、一家は軽傷を負って自家用車のシボレーは大破した。

【関連記事】原爆、落とされた国と落とした国 ─ 日米を結ぶ過去の遺産

 B47爆撃機に搭乗していた空軍大尉がうっかりレバーをつかんだことで、爆弾倉が開いてしまった(大尉もあわや落下するところだった)ことが原因だったが、爆弾に核分裂性核種が搭載されていなかったのは、不幸中の幸いだった。

 しかし当時、他の米軍機は完全な機能を備えた核兵器を運んで頻繁に飛行しており、先週オーストリアの首都ウィーン(Vienna)で開催された核兵器に関する国際会議で指摘されたように、こうした事故は決して単発的なものではなかった。

「核爆発を起こさずに冷戦(Cold War)を終えたことは幸運だった」と、58年やその他の核兵器にまつわる事故について書かれた『コマンド・アンド・コントロール(Command and Control)』の著者エリック・シュローサー(Eric Schlosser)氏は同会議で述べた。

「問題は、運はいつか尽きてしまうということだ」と語った同氏は、情報自由法(Freedom of Information Act)に基づく膨大な資料の請求や政府高官らのインタビューなど、新著のための調査に6年を費やした。

 1961年に起きた事故では、B52爆撃機が空中分解し、旋回しながら落下した。その遠心力によって、完全に運用可能な水素爆弾がノースカロライナ(North Caroline)上空に放り出された。「広島の数百倍もの威力を持つ水爆の爆発を防ぐことができたのは、水爆が備えていた、たった1つのスイッチだった」とシュローサー氏は言う。

 1968年には、水素爆弾4発を積んだB52爆撃機がグリーンランド(Greenland)のチューレ(Thule)空軍基地近くに墜落した。核物質を囲む爆薬は爆発したが、核爆発は避けられた。だが、一帯は放射性プルトニウムに汚染され、爆弾1発の一部はまだ発見されていない。

 1980年には、当時の国家安全保障担当大統領補佐官、ズビグニュー・ブレジンスキー(Zbigniew Brzezinski)氏が、夜中の2時半に起こされ、ロシアが核ミサイル220発を米国に向け発射したと知らされた。ミサイルの数はさらに、次の報告で2200発に訂正された。米軍機がエンジンをかけ、ブレジンスキー氏がジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領に電話をかけようとしていたときに、ようやく誤報だったと判明した。原因は、価格が50セントにも満たないマイクロチップ1個の誤作動だった。