■「一滴の血を流すこともなく」

 ほどなくしてイエーガー氏は、事態の鎮静化を狙い、群衆の中で最も激昂していた人々を特定し、彼らだけを西側へ通すようにとの指令を受けた。

「だが逆効果だった。群衆はますます激昂した」と話すイエーガー氏は、殺到した人々が将棋倒しになることを恐れていた。

「その時、『今が行動すべき時だ。何が起ころうと、国民を西側へと通さなければならない』との思いが頭をよぎった」

 そして午後11時半ごろ、彼は「ゲートを開け!」という、運命を決する命令を発した。

 最初、部下たちはその場で呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。彼は再び命令を繰り返した。

 ソファーに座りながら当時を回想するイエーガー氏は、25年が経った今も、赤と白の遮断機が上がる光景を思い出すと感情が揺さぶられるという。

「人々があのような幸福感に包まれたのを見たのは、後にも先にもあの夜だけだ」とイエーガー氏はほほ笑みながら話す。だが彼は、あの夜に集まった人々の力こそが称賛に値するとすぐに付け加えた。

「唯一私の功績と言えるものがあるとするなら、それは一滴の血も流さなかったということだろう」

 11月10日の早朝、勤務時間が終了したイエーガー氏は姉に電話をかけた。

「昨晩、国境を開いたのは僕なんだ」と話すと、姉は「よくやったわね」と答えたという。

(c)AFP/Yannick Pasquet