【AFP記者コラム】中東の流血写真と映像に向き合う編集者の苦悩
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【10月16日 AFP】AFP通信の中東・アフリカ本部は、キプロスの首都ニコシア(Nicosia)に置かれている。フォトエディターのアンドリュー・カバレロ(Andrew Caballero)がある日、爆撃で死亡した幼い息子を抱えたシリア人男性の画像を編集していると、子供の体に長いひものようなものが巻きついているのに気付いた。何かのひもだと思っていたが、よく見てみると、それは子供の腹から出た腸だった。AFPがその写真を配信することはなかったが、その恐ろしいイメージはカバレロの脳裏に長く焼きついたままだった。
ニコシアのAFPの写真や映像の編集者は毎日のように、シリアやイラク、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)、リビアなどから送られてくる、こうした耐え難いイメージと向き合っている。ばらばらになった死体や負傷して泣き叫んでいる子供、そして斬首される人質の画像などを、1日何時間も見つめ、リリースするかどうかの決断をすることが、彼らの仕事なのだ。
暴力的すぎる写真や動画はAFPの基準にもとづいて配信されないことが多い。それでもそういったイメージを見続けている編集者には繰り返し精神的な衝撃を与えている。
「おぞましいイメージは中東では珍しくない」と、フォトエディターのマリナ・パソス(Marina Passos)は言う。「斬首は10年前にイラクで既に行われていた。2004年にイラクのファルージャ(Fallujah)で米国人4人の焼死体がシャベルで切断されるなどした後、橋から吊るされていたのを誰もが覚えている。変わったのは、以前はそういった写真を見るのは月に1、2回だったのに、今では毎日になっていることだ」
暴力的すぎたり、情報として何の価値もなく人権を冒涜(ぼうとく)したりするイメージをAFPは決して配信しない。ただそれでも、紛争地帯などの現場の状況を伝えるために悲惨な、血まみれの写真や動画をまったく世に送り出さないというわけにはいかない。
「地獄を隠すことはできない」と、パソスは言う。「私たちの仕事は世界にありのままを伝えること。時に暴力的なイメージには、写真として大きなパワーが秘められていることもある」。
「私たちは常にジレンマを抱えている」と、AFPの中東と北アフリカのフォトサービス副局長、ハサン・ムロウエ(Hassan Mroue)は言う。「衝撃的すぎるイメージは配信しないようにしたいが、その一方で、報じなければ犯罪を隠ぺいしているような気がしてくる」。
AFPがクライアントに悲惨なイメージを配信するときは、警告の注意書きが添えられる。それを使うかどうかは、各々のクライアントの判断次第だ。
「死のイメージを検閲しているわけではないが、多くのメディアが痛ましい傷や死体のクローズアップを使わないことを知っているので、私たちも引きの画像を撮るようにしている」と、ビデオコーディネーターであるジハン・アマル(Jihan Ammar)は言う。「基準は国によって違うため、私たちも多様なイメージを提供できるようにしている。欧米メディアは残酷すぎるシーンをカットする傾向にあるが、中東のメディアはそのまま流すことが多い」
とはいえ、クライアントに配信する前にAFPのエディターはすべてのイメージを見なくてはならず、見るに堪えない画像からも目をそらすことは許されない。こうした写真や映像の編集者には、戦場ジャーナリストとは違った苦悩がある。現場の記者は命の危険や目の前で起きていることの恐怖に向き合わないといけない。一方の編集者は毎晩家に帰ることはできるが、一日中見ていた恐ろしい画像を記憶したまま、家庭生活をうまくやっていかなければならない。その痛みは、他の誰にも理解し得ない。