【7月31日 AFP】日本と中国が初めて戦争に突入してから7月25日で120年を迎えた──。

 1894年から95年にかけての日清戦争は、朝鮮半島における覇権争いだった。戦闘は94年7月末、朝鮮半島西岸沖の海戦で始まり、8月1日に宣戦布告となった。その後、9か月を経たずして日本は清国軍の艦隊を降伏させ、いわゆる下関条約が結ばれることになり、台湾を含む戦略的要衝を押さえることになった。

 多くの敗戦国とは異なり、中国では日清戦争に敗戦した日を熱烈に迎える。愛国主義を取り入れ、一党独裁の正当性を主張する中国共産党は、歴史的被害者としての側面を強調しているかのようにもみえる。

 清国軍の艦隊がかつて拠点とした中国東部の山東(Shandong)省威海(Weihai)市沖の自然の要塞、劉公島(Liugong Island)には、日清戦争に関する多数の画像や文書、武器などを展示する博物館がある。ここでは「侵略戦争」を行ったとして日本を非難しているだけでなく、当時の清国の脆弱性や腐敗、後進性などにも矛先を向けている。ある展示コーナーには「屈辱の敗戦…開発の遅れは敗北を招き得る」との一文が添えられていた。

 日清戦争は、数世紀にわたって続いた清国の王朝支配の終焉と、鎖国していた日本の大国として台頭を象徴する出来事となった。それから10年後には、日本は日露戦争でロシアを破って世界を驚かせ、朝鮮半島を植民地化。その後の傀儡(かいらい)政権による満州国建国を経て、第2次世界大戦(World War II)参戦へとつながる1937年の日中戦争に突入していく。

「中国から覇権の座を奪った日清戦争は、アジアにおける旧来の勢力均衡を覆した」と米海軍大学(US Naval War College)の戦略研究専門家、SCM・ペイン(SCM Paine)教授は語る。ペイン教授はあくまで自分の個人的見解だと強調しつつ「以来、中国はそれ以前の圧倒的な優位を回復しようと試みてきた。その優位性は軍事面に限らず、経済、外交、技術、文化に及んでいたものだ」と述べる。

 120年前の日清戦争は、中国にとっては昨日の出来事のようでもあり、開戦の日には毎年、新聞から雑誌、テレビまで国営メディアがこぞってこの題材を取り上げる。国営英字紙チャイナ・デーリー(China Daily)は前週の社説で、中国の「史上最悪の敵」に対する敗北は今も「中国の国民精神に開いた傷口」を作ると論じていた。

 劉公島の博物館の1コーナーは「日本による中国支配の欲望」と英語で書かれているが、その出口で目にするのは中国の近代的な海空軍力を再確認させる映像の数々であり、来館者に無敵とはいわずとも「安心できる」メッセージを伝えて帰宅させるかのようだ。

 そうしたコンセプトは来館者に届いている。16歳の男子学生はこう述べた。「中国は今や強くなったと思うし、僕たち中国人は本当の意味で歴史に向き合うことができると思う。今や僕たちは自分たちの国の主権を守ることができるし、昔のように日本に頭を下げることはないだろう」

(c)AFP/Kelly OLSEN