サラエボ事件から100年、「大戦争」のきっかけ 遠い民族和解
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【6月29日 AFP】第1次世界大戦(Great War)が勃発する契機になった「サラエボ事件」が起きてから28日で100年を迎えた。
1914年6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ(Sarajevo、当時はオーストリア・ハンガリー二重帝国領)でオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者だったフランツ・フェルディナント(Franz Ferdinand)大公夫妻をセルビア人のガブリロ・プリンツィプ(Gavrilo Princip)=当時(19)=が銃撃して暗殺した。
プリンツィプは帝国の支配からの解放を目指したセルビア人民族主義者の英雄なのか、世界大戦を引き起こしたテロリストなのか。その評価をめぐり今なお意見が分かれている。
プリンツィプが100年前に実行した攻撃は世界の総人口の約半分を、それまでなかった規模の激しい暴力の循環に巻き込んだ。大戦争 (Great War)とも呼ばれた第1次世界大戦は4年3か月余り続き、死者は約1000万人、負傷したり心身に障害を負ったりした人は約2000万人に上った。多くの人が占領下の病気や飢えによって死亡した。
欧州連合(EU)各国首脳は26日、第1次世界大戦中の1915年にドイツ軍が史上初めて毒ガス攻撃を行ったベルギー北西部イーペル(Ypres)に集まり、犠牲者らの追悼式典を行った。しかしバルカン半島では、第1次世界大戦が残した傷跡がセルビア人、クロアチア人、イスラム教徒の3民族を依然として分断しており、サラエボ市内での記念行事に各国の指導者らが揃うことを妨げた。
サラエボ市内では28日に、フェルディナント大公が事件直前に訪問した当時の市庁舎だった国立図書館で、かつての帝国の首都から象徴的な特使として招かれたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(Vienna Philharmonic Orchestra)の記念コンサートがEUの支援で開かれたものの、セルビアの指導者とボスニア国内のセルビア人指導者らは出席を拒否した。