【5月9日 AFP】「捜索を開始したところ壁に手が触れた。壁伝いに手探りでさらに進むと、遺体に触れたのを感じた」――。

 これは、3週間以上前に沈没した韓国旅客船の暗く冷たい船内で、遺体捜索・収容活動に携わったあるダイバーの手記の内容だ。

 このダイバーが活動従事中とり続けた手記には、ダイバーたちに要求された精神的、肉体的に過酷な実態が詳細に記されていた。

 手記の内容は捜索活動の展開をなぞっている。エアポケットから生存者が救助されるとの当初の楽観論は、沈没前に逃れた172人以外の生存者は存在しないという悲劇的な現実に取って代わった。

「私の頭はたったひとつの考えで完全に支配されている──生存者を捜せ」。手記は事故発生の3日後の4月19日から始まっている。

 手記は「ミスターB(Mr. B)」というペンネームで、釜山(Busan)地元紙の国際新聞(Kookje Shinmun)に掲載された。

■視界ゼロ、プレッシャー、無力感

 当初は生存者の救助だった捜索活動は、4月22日には遺体の捜索活動へと切り替わっていた。だが、不明者の家族らは、それでも生存者が発見されるかもしれないとのいちるの望みにしがみつきながら、岸に集まっていた。

「この子どもたちに何をしてあげられたのだろう」と手記はつづっている。「すまない、すまない、すまない」

 子どもの遺体を収容できた遺族からの感謝の言葉も、この無力感を癒やすことはなかった。

「私は感謝されるのにふさわしくない」と手記には書かれていた。

 最も印象的なのは最新の日記だった。遺体の捜索活動がペースを上げ始め、ダイバーたちが沈没船のより内部に潜るようになっていたころだった。