【5月2日 AFP】フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)で、ブラジル出身の伝説的ドライバーだったアイルトン・セナ(Ayrton Senna)氏の没後20年を迎えた1日、スポーツ史における最悪な事故が起こったイタリアのイモーラ(Imola)で、多くのファンが敬意を表し、故人をしのんだ。

 当時ウィリアムズ(Williams)に所属していたセナは、1994年のサンマリノGP(San Marino Grand Prix)の7周目でコーナーを回りきれず、時速307キロでコンクリートの障壁に衝突した。この日、事故が起こったコーナー「タンブレロ(Tamburello)」のフェンスには、ブラジル国旗が掲げられていた。

 その情熱と大きな志から、熱狂的なファンに愛されてきたセナは、F1史上最高のドライバーの1人とされており、セナを34歳の若さで死に追いやった事故を受け、F1は抜本的なリスク低減に乗り出した。

 世界王者に2度輝いているフェラーリ(Ferrari)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)は、セナが少年時代の憧れだったと懐古している。

 現在32歳のアロンソは、「ニュースを見ると、F1で優勝しているのはいつも黄色いヘルメットをかぶったセナだった。彼はいつまでも不滅だ」と語った。

 20年目という節目は、ルーベンス・バリチェロ(Rubens Barrichello)の負傷から2日後、ローランド・ラッツェンバーガー(Roland Ratzenberger)が事故死してからわずか24時間後に起きたセナの死に対する戸惑いと喪失感を、イモーラに再び思い起こさせた。

 そして総合優勝通算7回の実績を持つミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)氏が、昨年12月29日のスキー事故から意識を取り戻していないこともあり、追悼式典にはさらなる悲壮感が漂っていた。

 皮肉なことに、20年前のレースで大破したセナのマシンを抜き去り、議論を呼びながらもイモーラで優勝を飾ったのはシューマッハ氏だった。(c)AFP/Giovanni Grezzi