【4月1日 AFP】ドイツの高級車メーカー、ポルシェ(Porsche)の名は長い間、スポーツカー愛好家を熱狂させてきた。しかし創業者フェルディナント・ポルシェ (Ferdinand Porsche)氏がナチ(Nazi)党員だった過去をめぐり、同氏の故郷であるチェコの町では論争が起きている。

 チェコのブラティスラビツェ(Vratislavice)は2010年、ポルシェ氏の記念施設を開設した。100万ドル規模をかけて造られた超近代的な建物は町役場に隣接。ドイツに本社があるポルシェも、創業者の技術的才能を知らしめる展示を支援するため、車両を施設に貸し出した。町が掲げた看板には「フェルディナント・ポルシェの生まれ故郷、ブラティスラビツェにようこそ」と記された。

 しかし、人口約8000人のこの小さな町で、すべての住民がポルシェ氏を誇ることを心地よく思っているわけではない。

 2013年に新たに選出された町議会議員らは、1930年代後半にナチス・ドイツに併合されていたブラティスラビツェが、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)のために働いた人物を「記念」することへの反対の高まりを、もはや無視できなかった。

 町長のアレシュ・プレイスレル(Ales Preisler)氏によると、反ナチの退役軍人やユダヤ人社会は、記念施設がポルシェ氏とナチスとの関係に一切、言及していないことに異議を唱えたという。ポルシェ氏が戦前にナチス親衛隊(Nazi SS)に所属していたことや、同氏がフォルクスワーゲン(VolkswagenVW)でトップを務めていた時代に、独ボルフスブルク(Wolfsburg)工場で戦争捕虜に強制労働させたことなどが非難された。

 事態を沈静化するために昨年、施設の名称は「記念館」から「展示センター」に変更され、ポルシェ氏がナチ党員だったことの説明が加えられた。

 ポルシェ社も自動車の貸与を中止したが、ポルシェ氏をめぐる論争については「地元の問題だ」として言及を控えている。以来、施設は空っぽのままだ。

 また町役場は、ブラティスラビツェがポルシェ氏の生誕地であることを記した看板も撤去した。町長は「これらは町の公金で賄われるべきものではない。ポルシェ氏は確かにナチスだった」と述べた。