【3月10日 AFP】ソチ冬季パラリンピックで、クロスカントリースキーの女子12キロメートル(座位)に出場したタチアナ・マクファーデン(Tatyana McFadden、米国)には、9日の競技スタート時にスタンドから英語とロシア語で応援してくれる2つの家族がいた。

 6歳のときに米国の母親に養子に迎えられた24歳のタチアナは、冬季パラリンピック競技が行われるソチ(Sochi)に、生みの親も連れてくることを決めた。

 光景をすべて満たすかのように、同選手が育ったロシア・サンクトペテルブルク(Saint Petersburg)にある古い児童養護施設の所長も足を運び、医師からは長く生きられないと宣告されていた少女の名前を叫んでいた。

 ロシアの「ペレストロイカ」(改革)時代に誕生したタチアナは、生まれつきの脊椎披裂(せきついひれつ)で実母が面倒をみられなくなったときから、人生の旅路が始まった。そして預けられた養護施設には車いすがなく、タチアナは両手を使って歩くことを教えられた。

 下半身がマヒ状態のタチアナは、幼い頃から闘い続けていた。

 障害者のための米国政府機関で委員を務めるデボラ・マクファーデン(Deborah McFadden)氏は、1990年代初頭に救済任務でタチアナのいた養護施設を訪れたとき、この少女のことが頭から離れず、養子として迎えた。

 AFPの取材に応じたマクファーデン氏は、「もし養子に迎えていなかったら、あの子は亡くなっていたでしょう」と語り、タチアナが周回を重ねてスタンドの前を通り過ぎるたびに声援を送っていた。

「重体に陥り、何度も手術を受けていたので、医師からは体力をつける必要があると言われました。それでスポーツを教えることにしたのです」

「タチアナが生き残れる可能性は低かった」と明かしたマクファーデン氏は、「私たちは自分たちの可能性を知らず、その限界は他人が決めているのだということをあの子は示してくれました」と続けた。