【11月11日 AFP】食べ物を求めて遺体が散乱するがれきの中をあさり回る人々、救援物資の輸送車列を襲う暴徒ら――猛烈な台風30号(アジア名:ハイエン、Haiyan)の直撃を受け、1万人以上が死亡した恐れが出ているフィリピンの被災地では、生き延びようとする被災者の必死の行動が新たな恐怖を生み出している。

 東南アジアの島国フィリピンを横断し、ほとんどの都市に壊滅的な被害を与えた観測史上最大規模の台風が去ってから2日。津波のような大波によって多くの建物が損壊したレイテ(Leyte)島東岸の港湾都市タクロバン(Tacloban)で10日、AFP記者は住宅の残骸を物色していた1人の男性を取材した。

■短パン1枚、「3日間食べていない」

 この男性、エドワルド・グアルベルトさんは4人の子どもの父親で、地元の村の村議を務めているという。しかし、このとき身に着けていたのはバスケットボール用のショートパンツ1枚のみ。グアルベルトさんはみすぼらしい自分の格好と、亡くなった人たちの持ち物を盗む行為について謝りつつ、がれきをあさっていたときに犠牲者の遺体を踏んでしまったと告白した。

「私はまっとうな人間だ。だが、3日間何も食べていなければ、生き残るために恥ずべきまねもせざるを得ない」。埋もれた遺体にハエがたかるがれきを掘り返し、缶詰を探しながらグアルベルトさんは言った。「食べる物が何もない。水や色々な物がなければ、生きていけない」

 がれきあさりを半日ほど続けると収穫があった。袋入りパスタや缶ビール、洗剤や石けん、缶詰、ビスケット、キャンディーといった物が詰まった非常袋だ。「今回の台風は、私たちから尊厳を奪ってしまった。けれど、私にはまだ家族が残っている。そのことに感謝している」

■絶望から略奪へ

 人口22万人のレイテ州の州都タクロバンでは台風襲来後、全市で警察部隊の大半が動員体制を回復できずにいる。こうした中、絶望した人々がどうにか生き延びようと、治安の空白をついて暴力的な略奪に走る例が相次いでいる。

 被災者の多くはグアルベルトさんのように、台風の上陸以降、食料を口にしていないという。対応に手一杯の市当局は、救援物資を十分市内に行き渡らせらずにいる状況を認めている。

 台風の猛威にはどうにか持ちこたえた商店のショーウインドーを叩き割ったり、シャッターを押し開けたりして略奪する者もいる。ある店では店主が銃を手に立ちはだかったが、略奪を止めることはできなかった。やはり略奪被害に遭った菓子店の店主は「みんな泥だらけで、飢え乾いている。あと数日この状態が続けば、殺し合いが起きるだろう」と話した。

 フィリピン赤十字(Philippine Red Cross)の救援隊は、タクロバン近くで救援物資を積んだ車列が襲われたと発表した。リチャード・ゴードン(Richard Gordon)フィリピン赤十字会長は、略奪者たちのことを「暴力団」だと表現した。

■さまよい歩く被災者たち

 一方、途方に暮れた人々は大人も子どもも、ひっくり返った車や切れた電線の散乱する路上を、当てもなくたださまよい歩いていた。遺体が腐敗する臭いに口や鼻を押さえる姿も見られる。

 フィリピン軍の遺体回収班が動員されているが、兵士らも惨状に圧倒されているようだ。「トラック6台で遺体の回収に当たっているが、間に合っていない。どこも遺体だらけだ。人手も足りない」と運転担当の兵士は言った。

 通りがかりの人や報道陣にメモを手渡し、自分の消息を親戚に連絡してほしいと頼む生存者もいる。被災者の多くは顔を負傷し、足を引きずっていた。全員が想像を絶する恐怖の体験を口にした。

「ものすごく大きな波が何度もやって来て、私たちを道路に押し流し、家をさらっていってしまった」と、数千人が避難している海岸沿いの市営スポーツ・スタジアムでミラソル・サオイさん(27)はAFPの取材に語った。「夫は、自分と私の体を紐で結び付けてくれた。けれど、がれきに混じって流される中で離ればなれになってしまった。たくさんの人たちが溺れ、叫びながら沈んでいった。夫とはあれきり会えていない」 (c)AFP/Jason GUTIERREZ