【11月10日 AFP】英国で戦死者追悼を象徴する赤いポピー(ケシ)の花が、その起源となった第1次世界大戦(World War I)から約1世紀がたった今、若い世代の心も捉えている。

 英国では、1918年に第1次世界大戦の休戦協定が結ばれた11月11日の休戦記念日(Armistice Day)の2週間ほど前から、テレビ番組や人々のジャケットの襟、車のバンパー、新聞の題字のまわりなど至る所で赤いポピーを目にする。

 赤いポピーの造花を最初に作った支援団体「ポピー・ファクトリー(Poppy Factory)」は、西部戦線(Western Front)で戦った退役軍人のジョージ・ホーソン(George Howson)少佐が1922年、傷病退役軍人に仕事と収入を提供するためにロンドン(London)南西部リッチモンド(Richmond)に創設した。

 英国では少額の寄付金と引き換えに手渡されるポピーの造花が年間約4400万本作られているが、その大半は機械で製造されている。しかし、この団体は今も約30人のスタッフがリッチモンドで年間50万本近くを手作業で作っている。

 同工場で花弁を作る機械を担当する元海軍のデイブ・ブラウン(Dave Brown)さんは「人々がポピーを身に着けているのを見ると、胸がいっぱいになる思いだ。一時期はポピーなど気にも留めない世代がいたが、最近は身に着ける若者が増えてきた」とAFPの取材に語った。

■最近の戦争で関心高まる

 ポピー作りの作業場の横では十字架やリース(花輪)も作っている。部隊名が入った十字架を担当するトニー・レイウッド(Tony Laywood)さん(49)は、近衛歩兵連隊に所属していた。「最近の紛争や戦争で、確かに世論の関心が高まった。以前は第1次大戦や第2次大戦(World War II)をしのぶ日だったのに」という。英サッカー1部、プレミアリーグの選手たちもこの時期、ユニホームにポピーのプリントを付けている。イラクとアフガニスタンで戦死したそれぞれ179人、446人の英兵に対する多くの国民の気持ちを反映したものだ。

 もっとも、ポピーを身に着けることに反発する人もいる。メソジスト(Methodist)派のパトリシア・ジャクソン(Patricia Jackson)牧師は、ポピーは「戦争を推奨するものだ」としてポピーを身に着けずに今年の追悼礼拝を行い、波紋が広がった。イングランド(England)中部のテルフォード(Telford)で活動していた米国生まれのジャクソン牧師はその後、別の理由で停職処分を受けた。

 戦死者追悼の象徴としてのポピーは、カナダの兵士ジョン・マクレー(John McCrae)が1915年に創作した詩「フランドルの野に(In Flanders Fields)」に由来している。この詩には、第1次世界大戦中にベルギーとフランス北東部で命を落とした仲間の兵士たちが眠る墓に咲くポピーの花がうたわれている。(c)AFP/Robin MILLARD