【10月5日 AFP】(一部更新)ゲリラ戦術を駆使してフランス軍と米軍を打ち破ったベトナムのボー・グエン・ザップ(Vo Nguyen Giap)将軍が4日、102歳で死去した。

 軍関係者によると、ザップ氏は4日午後6時8分(日本時間同日午後8時8分)、3年前から入院していたハノイ(Hanoi)市内の第108軍病院で、家族に見守られながら亡くなったという。

 国営オンライン新聞VNExpressによると、遺体は儀仗(ぎじょう)兵に伴われて同病院の特別病棟から院内の遺体安置所に移された。

 ザップ将軍は、革命指導者のホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)に次いでベトナムで最も尊敬されている人物。ベトナム人民軍(Vietnam People's Army)の創設者で、そのゲリラ戦術は世界の反植民地闘争の戦士たちに影響を与えた。

■最後まで人気が衰えなかった伝説的存在

 ベトナム戦争に米海軍パイロットとして従軍し、撃墜されて捕虜になったことがよく知られているジョン・マケイン(John McCain)米上院議員は短文投稿サイト、ツイッター(Twitter)に「ボー・グエン・ザップ将軍が逝去した――かつて私に、米国は『名誉ある敵』だったと話してくれた、卓越した軍事戦略家だった」と書き込んだ。

 ボー・グエン・ザップ氏は1911年8月25日、裕福な農家に生まれた。古い百科事典で手投げ弾の仕組みの説明を読んだのがザップ氏が受けた唯一の「軍事教育」だったという。1954年にディエンビエンフー(Dien Bien Phu)の戦いでフランスに勝利してインドシナ(Indochina)におけるフランスの支配を終わらせるに至った。

 流ちょうなフランス語を話す歴史教師だったザップ将軍は、ディエンビエンフーの戦いの後も約20年にわたって軍を指揮。米国とそのかいらい政権だった南ベトナム政権と戦い、1975年4月30日に最終的勝利を勝ち取った。

 だが、ザップ将軍の戦場での成功はベトナム国内で、レ・ズアン(Le Duan)共産党書記長をはじめとする強力な敵を生み、1980年には国防相の地位を失った。1982年に党政治局を去り、1991年に公式に政界から引退した。しかし、90歳を超えても汚職やボーキサイト採掘事業などのデリケートな問題について大胆な発言を続け、特に若い世代の間でその人気が衰えることはなかった。 (c)AFP/Catherine BARTON