【8月7日 AFP】米女優の故マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)さんは、不倫関係にあった故ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領と結婚するつもりでいた──。ホワイトハウス(White House)に電話をかけ、ケネディ夫人にその意志を告げてさえいたという。

 これは、6日に発売されたジャーナリストのクリストファー・アンダーセン(Christopher Andersen)氏の新著『These Precious Few Days: The Final Year of Jack with Jackie(この貴重な数日間:ジャックとジャッキーの最後の1年)』からのエピソードの1つ。ジャクリーン・ケネディ(Jacqueline Kennedy)夫人(愛称ジャッキー)は、モンローさんのファーストレディ就任を歓迎するとさえ告げたという。

 同著によると、ジャッキーさんは、「あなたはホワイトハウスに引っ越してきて、ファーストレディの責任を引き継ぐの。私はここを出て、あなたが全部の問題を背負うの」とモンローさんに語ったとされる。

■ケネディ夫妻は真実の愛で結ばれていたか

 この出来事は、ケネディ大統領の暗殺で幕を下ろした2人の数奇な結婚生活を説明するエピソードの1つに過ぎない。

「核攻撃のときもそばにいたい」とジャッキーさんがケネディ大統領に懇願したことや、生まれたばかりのパトリック君の死を2人がどのように耐えたか、そしてケネディ大統領の度重なる不倫をいかにしてしのいだか、などについて新著は年代順に記述している。

 著作の目的は、全米の心をつかんだケネディ大統領夫妻が、本当に愛し合っていたかどうか、という問いに答えることだ。

■1962年キューバ危機、「あなたと死ぬ」と夫人は言った

 アンダーセン氏の調査によると、ジャッキーさんは夫の不義の多くを熟知していたが、動揺したのはマリリン・モンローさんとの不倫だけだったという──不倫それ自体ではなく、このスキャンダルで自分が世間の笑いものにされると恐れたからだ。

 そして冷戦の緊張の中でキューバ危機が浮上した1962年、核攻撃の際に彼女と子どもたちをワシントンD.C.(Washington D.C.)から離れたシェルターに避難させるという計画に、ジャッキーさんは抗議した。

「もし何かが起きたとしても、私をどこかへ送らないで。私たちはみんなここで、あなたと一緒にいる。私はあなたと一緒に死にたい、子どもたちもそうよ──あなたなしで生きるくらいなら」

■息子の死、暗殺、そして再婚

 1963年8月7日に生まれた3人目の子ども、パトリック・ブービエ(Patrick Bouvier)君は、生後2日目に死亡した。

「大統領は階上の誰もいない部屋に戻ってドアを閉め、ベッドの隅に座り、そして泣いた」と、アンダーセン氏は綴った。

「だがジャック(ケネディ大統領の愛称)が彼女の病室に戻ると、2人は一緒に泣いた。『ああジャック、ジャック』と彼女は涙を流した。『これ以上耐えられないことはもうたった1つだけ──あなたを失うことよ』」

 それからわずか数か月後の1963年11月22日、彼女は本当に彼を失った。テキサス(Texas)州でリー・ハーベイ・オズワルド(Lee Harvey Oswald)に大統領は暗殺された。

 ジャッキーさんは、ケネディ大統領暗殺の5年後、ギリシャの実業家アリストテレス・オナシス(Aristotle Onassis)氏と再婚し、大統領の死後30年近く生きた。

 アンダーセン氏はこう問いかけている。「究極の問いは残っている。50年前のあの日のダラス(Dallas)で、ジャックがジャッキーのとなりで射殺されたとき、2人は真に愛し合っていたのだろうか」

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