【8月5日 AFP】1994年に起きた大虐殺から目覚ましい回復を見せているルワンダで今、マウンテンゴリラ観光に訪れる外国人向けのツアーコースに、虐殺記念館の訪問を組み込む動きが広がっている。政府やツアー会社によると、外国人観光客にルワンダの歴史にも目を向けてもらい、同国が近年どれだけ大きな発展を遂げたのかを正しく理解してもらおうとの試みだという。

■伸びる観光業、約10年で訪問者数40倍

 ルワンダの観光業界は、この10年間で飛躍的に成長した。2004年に2万7000人だった年間入国者数は、2012年には108万人に増加。観光収入も、1500万ドル(約14億8000万円)から2億8200万ドル(約278億円)に急増した。

 ルワンダには観光客を魅了する見どころがたくさんある。果てしなく山々が連なる絶景や、手つかずの豊かな熱帯雨林、光輝く湖などだ。また、首都キガリ(Kigali)は世界でも有数の清潔で安全な都市の1つといわれる。

 世界からルワンダにやってくる観光客の目当てはビルンガ(Virunga)火山群の竹林に生息するマウンテンゴリラの観察かもしれないが、最近ではこれと併せて、キガリのギソジ(Gisozi)地区にある虐殺記念館にも数万人が訪れている。虐殺について知りたいという観光客もいるが、観光日程に記念館訪問が組み込まれていたから訪れたという外国人も少なくない。

■虐殺の悲劇と国の再建

 虐殺記念館の展示内容も、過去20年の間にリニューアルした。当初の展示物である虐殺の遺骨も数点あるが、現在は文献や写真、映像・音声資料を通じてルワンダの歴史を説明するという教育的な側面が強くなっている。

 中でも見る人の心に迫るのが、虐殺で犠牲になった子供たちの写真と略歴が展示された1室だ。ある銘板にはこう記されている。「フランシーヌ・ムレンゲジ・インガビレ。12歳。好きなスポーツ:水泳、好きな飲み物:牛乳とトロピカルフレーバーのファンタ。死因:なたによる斬殺」

 虐殺記念館を運営する「イージス・トラスト(Aegis Trust)」広報のデービッド・ブラウン(David Brown)氏によれば、記念館を訪れる観光客の大多数は北米と欧州からで、通常はツアー旅行客だ。学習ツアーもあるが、サファリ観光の団体客が多い。「ツアーコースに組み込んだことで、人々が純粋にルワンダの歴史に興味を持ってくれるようになった」とブラウン氏は指摘する。

「虐殺記念館を宣伝しようという戦略が特にあるわけではない」と語るのは、ルワンダ開発庁で観光を担当するリカ・ルウィガンバ(Rica Rwigamba)氏だ。「ただ、人々に我が国を理解してもらうのは重要だとわれわれは考えている」

■ツアー会社の思惑は

 米国とケニアに支社を構える旅行会社「トゥサファリ・アフリカ・トラベルズ(Tusafiri Africa Travels)」では、「ルワンダの歴史に学ぼう(Rwanda History Will Tell!)」と題した6日間のツアーを提供している。このツアーではゴリラやキンシコウの観察に先立って、まずキガリ郊外にある2つの虐殺記念施設を訪れる。

 ツアー広告は、一面に並ぶ木の十字架の前に立つ古着をまとった子どもの白黒写真だ。この十字架は1994年、国連(UN)の平和維持部隊が撤退した後に大勢が虐殺された公立技術学校(Ecole Technique OfficielleETO)の犠牲者を悼んで立てられたものだ。

「われわれツアー会社が虐殺記念施設をツアー日程に組み込むのは、それによってルワンダという国をより広い視野で見ることができると考えているからです」と、旅行会社「サウザンドヒルズ・エクスペディションズ(Thousand Hills Expeditions)社長でルワンダ観光協会会長のマンジ・カイフラ(Manzi Kayihura)氏は説明した。

「この10年間で、虐殺記念施設の訪問を拒否した観光客はカップル2組だけです」。カイフラ氏は、ルワンダ虐殺とその後の国の再建を関連付けた一連のストーリーとして知ることで、なぜルワンダがこれほど短期間に復活を遂げたかを理解することができるだろうと語った。

 大虐殺でルワンダ経済は壊滅したが、直近5年間の国内総生産(GDP)成長率は年次平均8.2%と、順調な経済成長を見せている。(c)AFP/Stephanie Aglietti