【9月15日 AFP】コーンを入れるなんてもってのほか、エシャロットも冒とく行為にあたり、いんげん豆もポテトもNG――シーザーサラダに次いで世界各地で食べられている「ニース風サラダ」。その「純血」を守ろうと立ち上がった人々がいる。

 その人々は、ニース風サラダが生まれたフランスの誇るリゾート地、リビエラ(Riviera)のニース風サラダ保存会「ラ・カペリーナ・ドル(Cercle de la Capelina d'Or)」のメンバーだ。グループは単に真剣というだけではない。ニース市の支援を取り付け、助成金も得ている。

■正当ニース風サラダの材料は7種類だけ

 リビエラっ子で同グループ代表のルネ・グラーリアさん(78)は「ラ・カペリーナ・ドル」の活動について、「休暇から戻ったら、それぞれがフランスのあちこちで体験したことを報告しあうんです。私の場合は、マヨネーズをかけたニース風サラダを出されたんですよ。まったく鳥肌がたつ経験だったわ」と話した。

 ニースの一流ホテル学校で長年教えていた経験を持つグラーリアさんによると、元来、ニース周辺の料理は貧しい人々のためのシンプルなものだった。最初のニース風サラダの材料は、トマトとアンチョビ、オリーブオイルだけだったという。

 このニース風サラダをパンに挟んだニース風サンドイッチを、地元では「パン・バニャ」というが、これはニースの方言で「浸したパン」という意味だ。かつてはパンを焼くのは3週間に1度だけった。だから汁気のあるサラダは、堅くなったパンを柔らかく食べるためには、うってつけだったというわけだ。ニース風サラダと同様に、このニース風サンドイッチも大胆にアレンジされたものが多く出回っている。
 
 イタリア国境に近く地中海に面するニースは、中世にさかのぼる文化的伝統が残る。グラーリアさんは、食文化でもその伝統を守りたいのだという。グラーリアさんにとっては、ニース料理の真正性は神聖なもので、アレンジは冒とくに近い。

 グラーリアさんにかかれば、現代フランス料理の祖といわれるオーギュスト・エスコフィエ(Auguste Escoffier)さえも「お叱り」の対象だ。エスコフィエは1846年にこのニースで生まれた。今日のニース風サラダに多くみられる茹でたいんげん豆とポテトを加えるレシピの考案者は、エスコフィエだとされる。しかし、グラーリアさんはエスコフィエのこのアイデアは問題だと考えている。

 グラーリアさんらの保存会は、これまで40年にわたり毎年ニース料理の競技会やレストランの評価を行ってきた。「正真正銘のニース料理店」の看板を掲げるためには、「ラビオリ・ア・ラ・ドーブ(ラビオリ入りのニース風ビーフシチュー)」や「ラタトゥイユ(ニース風夏野菜煮込み)」など、ニースの15の伝統メニューのうち最低3種類を「正しい」料理法で提供しなければならない。

「正統な」ニース風サラダの材料として保存会が認めているのは、トマト、固ゆで卵、アンチョビの塩漬け、ツナ、スプリング・オニオン(わけぎ)、小粒のニース産黒オリーブとバジルだけ。ただ旬の季節であれば、若くて柔らかいソラマメや、若い生のアーティチョークなどを加えても良い。

 味付けは、サラダボウルの内側にガーリックをこすりつけて香りを移し、オリーブオイルと塩を加えるのみだ。ただし保存会では、胡椒と酢を多少加えることは容認している。それでも純粋主義者は少々のハーブ以外は、これ以上何も加えない。

■一流レストランシェフも「震える」

 そんなニースで昨年1月、ちょっとした事件があった。

 地元紙ニース・マタン(Nice Matin)が、ニース風サラダだとして、いんげん豆とポテトがたっぷり入ったサラダの写真を掲載したのだ。フランスのほとんどの地域では最も一般的な「ニース風サラダ」だが、保存会らニースの伝統主義者からは大きな非難が起こった。

 これに応じ、ニース・マタン紙は「償い」の印として、ニース風サラダのコンテストを開催した。

 コンテストでは、ニースにあるミシュランの星付きレストランシェフ、 クリスチャン・プルメール(Christian Plumail)氏も審査員の1人を務めた。しかし、実はプルメール氏の考えは少々違う。「レシピを体系化するのは良いことだが、食の原理主義には私は反対だ。私にとってレシピは生きているもの。固定されたものではない」と語るプルメール氏。「ただ同じレシピを繰り返すだけになったら、もう(そのレシピは)お払い箱だ」

 そんなプルメール氏だが、自分の店で提供するニースの伝統料理には非常に気を遣っているという。ニース料理を作るときは震えてしまうほどだと告白するプルメール氏は、「この地には必ず、うち家族のほうがもっと美味しく作れると言う人たちがいるから」と語った。(c)AFP/Catherine Marciano