北朝鮮の強制収容所、生還者が語る「犬以下の生活」
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【11月25日 AFP】北朝鮮の強制収容所に28年間にわたって収容されていた女性が23日、スイスで開かれた国際会議で、収容所内での公開処刑の様子や飢餓状態などについて貴重な証言を行った。
■13歳で収容、銃殺見学させられる
金恵淑(キム・ヘスク、Kim Hye Sook)さんは13歳のとき、両親が収容されていた「第18号管理所」と呼ばれる政治犯収容所に送られた。そこでは、収容された人びとが「犬よりもひどい扱い」を受け、強制労働を科され、看守たちに虐待されていたという。
2001年に釈放され、現在は韓国で暮らしている金さんは、スイスのジュネーブ(Geneva)で開かれた北朝鮮の人権と脱北者に関する国際会議で、公開銃殺を強制的に見せられたことや、現在も収容所に残っている兄弟姉妹に食べ物を分けるため飢えをしのいだことなどを涙ながらに語った。
会議を共催した北韓人権市民連合(Citizens' Alliance for North Korean Human Rights)によると、北朝鮮の6か所の強制収容所に収容されている政治犯は推計約20万人に上るが、北朝鮮政府は収容所の存在さえも否定している。
■収容理由を尋ねるだけで「死」
金さんによると、彼女も含めて囚人たちの多くはなぜ収容されたのかも知らず、それを尋ねただけでも死に直面した。10ページに及ぶ証言で金さんは、「食べ物はいつも不足していて、多くの人が餓死していた。あまりに多くの死体を見すぎて、すぐに、死体を見ても何も感じなくなった」「囚人たちは『人権』とは何かの意味さえ分かっていなかった。犬よりもひどい人生を送っていた」と述べている。
所内では「トウモロコシ粉を盗んだという理由から、迷信を信じたという理由まで」あらゆる「罪」で、毎年100回を超える公開処刑が行われていたという。「最初に公開処刑を見たのは13歳のときで、まだほんの子どもでした。所内の全員が見なければなりませんでした」
収容所内の鉱山で模範労働者に分類された金さんは、結婚を許可され、2人の子どもを出産した。しかし、夫と金さんの兄弟は後に収容所内の鉱山事故で死亡した。
やがて釈放された金さんは脱北し、中国とタイを経由して韓国への亡命に成功した。中国では滞在していた家が洪水で流されるというさらなる悲劇にも遭遇した。
■脱北者の証言が全て
国連総会(UN General Assembly)は21日、北朝鮮の人権侵害を非難する決議案を可決した。決議案は、北朝鮮政府による超法規的、恣意的な拘束や、非人道的な収容環境、公開処刑などに対して強い懸念を表明するとともに、「多数の強制収容所の存在と広範に及ぶ強制労働の使用」を非難している。
ジュネーブでの国際会議の別の共催団体である国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(Human Rights Watch、HRW)は、人権団体が北朝鮮に入って人権状況を評価することが不可能な現状では、収容されていた人の体験に基づく証言がいっそう重要だと指摘する。
HRWジュネーブ支部のフィリップ・ダム(Philippe Dam)氏によると、国際人権NGOの訪朝は1990年代初期のアムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)が最後。それゆえ「われわれが頼りにできる唯一の証拠は、脱北者たちの証言だ」という。(c)AFP/Lucy Christie