仏リヨンの高級レストランで新作料理に挑む日本人シェフ、タカノ・タカオ氏
このニュースをシェア
【1月17日 AFP】フランス・リヨンにある2つ星フレンチレストラン、ルベック(Le Bec)の厨房を率いているのは、日本人シェフ、「タカ」ことタカノ・タカオ(Takao Takano)氏(35)だ。ここでは、タカ氏によって西洋と和の味覚を融合する料理が毎日、生み出されている。
当初、法律の専門家を目指していたタカ氏は90年代、法律を勉強するために上京した。だが、日々、法律の教科書に埋もれながらもフランス料理への熱い思いは消え去らず、自分のキッチンで料理を作っては仲間の学生たちにふるまっていた。
当時、新進フランス料理ヌーベル・キュイジーヌの巨匠、アラン・シャペル(Alain Chapel)やトロワグロ(Troisgros)兄弟の下で修行を積んだ日本のフランス料理界の一人者、三國清三(Kiyomi Mikuni)シェフを尊敬していたタカ氏は、三國氏の料理本を買い求め、「鶏の蒸し煮」を真似た料理を創作したりもしたという。
実年齢よりも若く見えるタカ氏は、その頃「料理といえば、フレンチしか思い浮かばなかった」という。
ついに、タカ氏は1999年、料理人としてのキャリアをスタートさせる。都内にある森重正浩(Masahiro Morishige)シェフの店、ラ・ビュット・ボワゼ(La Butte Boisee)に、アシスタント・シェフとして雇われたのだ。
森重氏は、パリにある仏高級レストランガイドブック「ミシュランガイド(Michelin Guide)」の常連老舗高級レストラン、タイユヴァン(Taillevent)や、山菜や野草を取り入れた料理で著名なシェフ、マルク・ベイラ(Marc Veyrat)氏の下で修行を積んだシェフだ。タカ氏は日々の仕事の中で、森重氏から「素材に対する敬意」と「旬の料理」の考えを学んだという。
その一方で、ラ・ビュット・ボワゼで働いた2年半の間、タカ氏は渡仏の夢を膨らませていった。フランス料理、フランス文化に加えて、タカ氏はフランスの国民的シンガー・ソングライター、セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)にも強くひかれていた。だが、当時のタカ氏は、フランス語を全く話せなかった。
一流のレストランが軒を連ね著名シェフたちが腕を振うフランスの「食の首都」、リヨン(Lyon)を目指し、タカ氏が学生ビザを取得したのは2002年の後半になってのことだった。
渡仏し、新年をリヨンで迎えたタカ氏は、旧市街ビュー・リヨン (Vieux Lyon)にある高級レストラン、クール・デ・ロジュ(Cour des Loges)を訪れ、自分自身に新年のディナーを奮発した。クール・デ・ロジュは、後にベックを開くニコラ・ルベック(Nicolas Le Bec)氏が初の1つ星を獲得し、「その年最高のシェフ」に選ばれたばかりだった。
そこでタカ氏が「働かせてほしい」とルベック氏に頼み込んだところ、その場でアシスタント・シェフとして雇われた。「働かせてほしい」という言葉は、タカ氏が当時、唯一、覚えたフランス語だったという。「最初は理解できないことだらけで、いつも観察してばかりいました」と、タカ氏は振り返る。
2003年末、恩師であるルベック氏が自らのレストランをオープンした。タカ氏もその後を追い、ミシェランの星を獲得しようと懸命に働いた。ルベック氏のレストランのパティシエで後に妻となるユウコさんと出会ったのも、この店だった。
2010年4月、ルベック氏は当時2つ星レストランとなっていた同店をタカ氏にまかせると、もちかけた。タカ氏は迷うことなく承諾。そして自分が40歳になるまでに3つ星を獲得するとの目標を立て、さらに全力を傾けた。
「ここは、ぼくがすべてを学んだ場所」と、フランス語を交えて語るタカ氏だが、フランス語を正式に学んだ経験はない。「すべてを捧げてきたルベックは、ぼくの家なのです」(タカ氏)
ルベック氏はタカ氏に店をまかせる時、自分らしさや自国の文化をメニューに加えて欲しいと語ったという。それは、「素材の扱い」に個性を出すということだ。例えば、カモ料理に焼きネギのソースを添えたり、白身魚のソテーに醤油と酒で照りを出すなど、「和風」感を加えることだ。
また、日本の柑橘類で香り付けしたマトウダイの蒸し物に、鰹節風味の醤油ソースを添えるなど、工夫が求められるのは新作料理でも同様だ。
タカ氏は、狩猟の愛好家でもある。マガモやヤマウズラなど若鳥を素材とした「黄金のスープ」は、タカ氏が特に好むものだ。「フランスの土や季節が感じられる」のだという。日本にいた頃も、狩猟はたしなんでいたが、フランスに着てからは野鳥の種類の多さに驚いたという。
調理道具に関しては、フランスの「魔法のような」キャセロール鍋に感嘆させられた。だが、今でもタカ氏は、「日本の包丁なしで調理することは想像もつかない」という。
国際色豊かな料理人5人のチームを仕切って週5日、70席の店で料理を提供していくためには、多様な才能が求められる。「完璧主義者」と自認するタカ氏の弱点は、いまだにレストランで注文ができないことだという。(c)AFP/Nicole Deshayes
当初、法律の専門家を目指していたタカ氏は90年代、法律を勉強するために上京した。だが、日々、法律の教科書に埋もれながらもフランス料理への熱い思いは消え去らず、自分のキッチンで料理を作っては仲間の学生たちにふるまっていた。
当時、新進フランス料理ヌーベル・キュイジーヌの巨匠、アラン・シャペル(Alain Chapel)やトロワグロ(Troisgros)兄弟の下で修行を積んだ日本のフランス料理界の一人者、三國清三(Kiyomi Mikuni)シェフを尊敬していたタカ氏は、三國氏の料理本を買い求め、「鶏の蒸し煮」を真似た料理を創作したりもしたという。
実年齢よりも若く見えるタカ氏は、その頃「料理といえば、フレンチしか思い浮かばなかった」という。
ついに、タカ氏は1999年、料理人としてのキャリアをスタートさせる。都内にある森重正浩(Masahiro Morishige)シェフの店、ラ・ビュット・ボワゼ(La Butte Boisee)に、アシスタント・シェフとして雇われたのだ。
森重氏は、パリにある仏高級レストランガイドブック「ミシュランガイド(Michelin Guide)」の常連老舗高級レストラン、タイユヴァン(Taillevent)や、山菜や野草を取り入れた料理で著名なシェフ、マルク・ベイラ(Marc Veyrat)氏の下で修行を積んだシェフだ。タカ氏は日々の仕事の中で、森重氏から「素材に対する敬意」と「旬の料理」の考えを学んだという。
その一方で、ラ・ビュット・ボワゼで働いた2年半の間、タカ氏は渡仏の夢を膨らませていった。フランス料理、フランス文化に加えて、タカ氏はフランスの国民的シンガー・ソングライター、セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)にも強くひかれていた。だが、当時のタカ氏は、フランス語を全く話せなかった。
一流のレストランが軒を連ね著名シェフたちが腕を振うフランスの「食の首都」、リヨン(Lyon)を目指し、タカ氏が学生ビザを取得したのは2002年の後半になってのことだった。
渡仏し、新年をリヨンで迎えたタカ氏は、旧市街ビュー・リヨン (Vieux Lyon)にある高級レストラン、クール・デ・ロジュ(Cour des Loges)を訪れ、自分自身に新年のディナーを奮発した。クール・デ・ロジュは、後にベックを開くニコラ・ルベック(Nicolas Le Bec)氏が初の1つ星を獲得し、「その年最高のシェフ」に選ばれたばかりだった。
そこでタカ氏が「働かせてほしい」とルベック氏に頼み込んだところ、その場でアシスタント・シェフとして雇われた。「働かせてほしい」という言葉は、タカ氏が当時、唯一、覚えたフランス語だったという。「最初は理解できないことだらけで、いつも観察してばかりいました」と、タカ氏は振り返る。
2003年末、恩師であるルベック氏が自らのレストランをオープンした。タカ氏もその後を追い、ミシェランの星を獲得しようと懸命に働いた。ルベック氏のレストランのパティシエで後に妻となるユウコさんと出会ったのも、この店だった。
2010年4月、ルベック氏は当時2つ星レストランとなっていた同店をタカ氏にまかせると、もちかけた。タカ氏は迷うことなく承諾。そして自分が40歳になるまでに3つ星を獲得するとの目標を立て、さらに全力を傾けた。
「ここは、ぼくがすべてを学んだ場所」と、フランス語を交えて語るタカ氏だが、フランス語を正式に学んだ経験はない。「すべてを捧げてきたルベックは、ぼくの家なのです」(タカ氏)
ルベック氏はタカ氏に店をまかせる時、自分らしさや自国の文化をメニューに加えて欲しいと語ったという。それは、「素材の扱い」に個性を出すということだ。例えば、カモ料理に焼きネギのソースを添えたり、白身魚のソテーに醤油と酒で照りを出すなど、「和風」感を加えることだ。
また、日本の柑橘類で香り付けしたマトウダイの蒸し物に、鰹節風味の醤油ソースを添えるなど、工夫が求められるのは新作料理でも同様だ。
タカ氏は、狩猟の愛好家でもある。マガモやヤマウズラなど若鳥を素材とした「黄金のスープ」は、タカ氏が特に好むものだ。「フランスの土や季節が感じられる」のだという。日本にいた頃も、狩猟はたしなんでいたが、フランスに着てからは野鳥の種類の多さに驚いたという。
調理道具に関しては、フランスの「魔法のような」キャセロール鍋に感嘆させられた。だが、今でもタカ氏は、「日本の包丁なしで調理することは想像もつかない」という。
国際色豊かな料理人5人のチームを仕切って週5日、70席の店で料理を提供していくためには、多様な才能が求められる。「完璧主義者」と自認するタカ氏の弱点は、いまだにレストランで注文ができないことだという。(c)AFP/Nicole Deshayes