【5月28日 AFP】1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、旧東ドイツの秘密警察として知られる「シュタージ(Stasi)」(旧国家保安省)が解体されてから、今年で20年が経過する。シュタージが作成した「監視対象者」に関する膨大な機密文書は、現在も保管されているが、閲覧希望者が後を絶たない。

 シュタージの記録を管理している「シュタージ・アーカイブ(Stasi Archive)」のマリアンネ・ビルトラー(Marianne Birthler)氏によると、2007年の閲覧申請者は10万人超、08年はやや減の8万7000人だったが、解体から20年を迎える今年に入ってからは再び、ひと月あたり約1万人と急増している。

 シュタージはその40年の歴史において、国家による反体制派弾圧のための世界で最も効率的な機関のひとつで、冷戦時には27万人以上の要員を擁し、東ドイツ国民は東欧圏のなかでも最も過酷な監視下に置かれた。

 1990年に東西ドイツが統一され、翌91年には一般市民でもシュタージの機密文書を閲覧できるようになった。アーカイブ開設以降、これまでの閲覧申請者は延べ160万人以上に上っている。

 閲覧によって初めて、友人や同僚、家族がシュタージの「陰の協力者」であったことを知った人は多い。また、これまでにシュタージのスパイであったことを自ら公表した人は数千人に達している。

 シュタージの機密文書にはまだ、爆弾が眠っているとも考えられている。前週には、1967年の西ベルリン(当時)のデモで学生だったベンノ・オーネゾルク(Benno Ohnesorg)さんが警官に射殺された事件で、この警官がシュタージのスパイだった事実がシュタージの記録によって明らかになった。この事件は、西ドイツの左派学生運動の派閥の多くを過激化させる転換点となった。(c)AFP