<08米大統領選挙>共和党マケイン候補、ホワイトハウス射程圏内に
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【2月6日 AFP】(一部更新)全米24州で米大統領選の共和党、民主党各指名候補選出が一斉実施された「スーパーチューズデー」の5日、共和党側ではベトナム戦争の英雄であり一匹狼的な存在として知られるジョン・マケイン(John McCain)上院議員の指名が確実視されてきた。マケイン候補の課題は党内保守派の強固な支持を取り付けていないことだ。
■候補者指名はホワイトハウスへの通過点
マケイン氏は同日、自身の本拠地アリゾナ(Arizona)州フェニックス(Phoenix)で行われた集会で、映画『ロッキー(Rocky)』のテーマ曲が流れる中、ステージ上に登場した。
支持者を前にマケイン氏は、「後ろから来る誰かが今夜勝つことがあればだが、わたしは敗北者の役を担うことを気にしたこともないし楽しんでもきた。われわれは共和党の最前線にいるが、それは合衆国大統領の指名を受けるためだという考えに慣れなければいけないと思う。まだ先は長い。しかし、これまで必死に達成しようとしてきた勝利に、以前よりもずっと近づいている。われわれの勝利をわたしは確信している」と語った。
現在までの開票状況では、保守的な南部の4州でライバルのマイク・ハッカビー(Mike Huckabee)候補が勝利したのに対し、マケイン氏はニューヨーク(New York)、ミズーリ(Missouri)、イリノイ(Illinois)といった大票田を含む8州で勝利した。
共和党内の右派の多くにも、民主党に本選で勝つためにはマケイン氏を共和党候補とする選択がベストだとする空気が広まる一方、ラジオ・パーソナリティのラッシュ・リンボー(Rush Limbaugh)氏のように、マケイン氏がブッシュ政権の財政法案や同姓による婚姻を禁止する法案に反対し、移民法改革を支持している点から許しがたい、とする保守派の声も依然根強い。しかし、マケイン氏は自分こそが、党を結束させ、11月の本選で民主党を打ち負かすことができると明言した。
■ベトナム戦争後、悪名高い捕虜収容所から生還
マケイン氏は2000年の大統領選では共和党指名争いでジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)現大統領に敗北したが、今回は11月の民主党候補との本選でバラク・オバマ(Barack Obama)氏かヒラリー・クリントン(Hillary Clinto)氏と対決する本命馬となることが確実視されてきた。
ベトナム戦争時代にマケイン氏は「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれた捕虜収容所で過ごした。海軍パイロットだった1967年、北ベトナム上空を飛行中に撃墜された後、怒り狂ったベトナムの民衆に殴られ、足を銃剣で突き刺され、収容所へ連行された。現在はアリゾナ(Arizona)州選出の有力上院議員だが、戦争捕虜として5年半を過ごしたうち、2年間は悪名高い「ハノイ・ヒルトン」の独房に収容された。同所での待遇は残忍で、そのときの後遺症からマケイン氏は今も髪をとかすために腕をあげることさえできない。
■今回選挙戦は、早期離脱の可能性から復活
1973年のベトナム戦争終結で帰国し、英雄として迎えられたマケイン氏は、戦時中の苦境にもかかわらず再び軍に勤務、米上院と海軍とのパイプ役を務めた。
政界進出は1982年の下院選で初当選、続けて1986年に上院議員に当選し以後、軍の擁護者として精力的に活動してきた。大統領選出馬は2回目だが、イラク駐留米軍の増派を猛烈に求める主張と多額の選挙資金を投じての立候補が、イラク戦争に対し冷めつつある世論感情の反感を買い、2007年半ばには大統領選からの早期撤退が危ぶまれることもあった。
しかし、選挙資金が底をつき、政治生命が絶たれたとも書き立てられたマケイン氏は選挙スタッフを削減し、元来の「一匹狼」スタイルに戻った。前回の大統領選でも使った自身の選挙運動用バス「ストレート・トーク・エクスプレス(率直に話そう特急)」に乗って党候補争い初戦の行われたニューハンプシャー(New Hampshire)州のタウンホール100か所以上を遊説、退役軍人の多い同州での勝利を奪い取った。
■外交方針はタカ派、イラク撤退明示は「白旗」
イラクの治安情勢悪化から行われた米軍の増派が成功した点も、イラク戦略に関して強硬姿勢を貫き、それが原因で選挙に敗北するならば本望だとまで公言するマケイン氏に有利に働いた。
サウスカロライナ(South Carolina)州、フロリダ(Florida)州の2州で、指名獲得に不可欠な勝利を獲得した後、マケイン氏はイラク撤退を公約している民主党候補たちについて「白旗を振っている」と攻撃した。マケイン氏は撤退期限の設定は「降伏」に等しいと述べ、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)に「米国を敗北させたと世界に告げるようなことはさせない」と断言している。(c)AFP/Mira Oberman
■候補者指名はホワイトハウスへの通過点
マケイン氏は同日、自身の本拠地アリゾナ(Arizona)州フェニックス(Phoenix)で行われた集会で、映画『ロッキー(Rocky)』のテーマ曲が流れる中、ステージ上に登場した。
支持者を前にマケイン氏は、「後ろから来る誰かが今夜勝つことがあればだが、わたしは敗北者の役を担うことを気にしたこともないし楽しんでもきた。われわれは共和党の最前線にいるが、それは合衆国大統領の指名を受けるためだという考えに慣れなければいけないと思う。まだ先は長い。しかし、これまで必死に達成しようとしてきた勝利に、以前よりもずっと近づいている。われわれの勝利をわたしは確信している」と語った。
現在までの開票状況では、保守的な南部の4州でライバルのマイク・ハッカビー(Mike Huckabee)候補が勝利したのに対し、マケイン氏はニューヨーク(New York)、ミズーリ(Missouri)、イリノイ(Illinois)といった大票田を含む8州で勝利した。
共和党内の右派の多くにも、民主党に本選で勝つためにはマケイン氏を共和党候補とする選択がベストだとする空気が広まる一方、ラジオ・パーソナリティのラッシュ・リンボー(Rush Limbaugh)氏のように、マケイン氏がブッシュ政権の財政法案や同姓による婚姻を禁止する法案に反対し、移民法改革を支持している点から許しがたい、とする保守派の声も依然根強い。しかし、マケイン氏は自分こそが、党を結束させ、11月の本選で民主党を打ち負かすことができると明言した。
■ベトナム戦争後、悪名高い捕虜収容所から生還
マケイン氏は2000年の大統領選では共和党指名争いでジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)現大統領に敗北したが、今回は11月の民主党候補との本選でバラク・オバマ(Barack Obama)氏かヒラリー・クリントン(Hillary Clinto)氏と対決する本命馬となることが確実視されてきた。
ベトナム戦争時代にマケイン氏は「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれた捕虜収容所で過ごした。海軍パイロットだった1967年、北ベトナム上空を飛行中に撃墜された後、怒り狂ったベトナムの民衆に殴られ、足を銃剣で突き刺され、収容所へ連行された。現在はアリゾナ(Arizona)州選出の有力上院議員だが、戦争捕虜として5年半を過ごしたうち、2年間は悪名高い「ハノイ・ヒルトン」の独房に収容された。同所での待遇は残忍で、そのときの後遺症からマケイン氏は今も髪をとかすために腕をあげることさえできない。
■今回選挙戦は、早期離脱の可能性から復活
1973年のベトナム戦争終結で帰国し、英雄として迎えられたマケイン氏は、戦時中の苦境にもかかわらず再び軍に勤務、米上院と海軍とのパイプ役を務めた。
政界進出は1982年の下院選で初当選、続けて1986年に上院議員に当選し以後、軍の擁護者として精力的に活動してきた。大統領選出馬は2回目だが、イラク駐留米軍の増派を猛烈に求める主張と多額の選挙資金を投じての立候補が、イラク戦争に対し冷めつつある世論感情の反感を買い、2007年半ばには大統領選からの早期撤退が危ぶまれることもあった。
しかし、選挙資金が底をつき、政治生命が絶たれたとも書き立てられたマケイン氏は選挙スタッフを削減し、元来の「一匹狼」スタイルに戻った。前回の大統領選でも使った自身の選挙運動用バス「ストレート・トーク・エクスプレス(率直に話そう特急)」に乗って党候補争い初戦の行われたニューハンプシャー(New Hampshire)州のタウンホール100か所以上を遊説、退役軍人の多い同州での勝利を奪い取った。
■外交方針はタカ派、イラク撤退明示は「白旗」
イラクの治安情勢悪化から行われた米軍の増派が成功した点も、イラク戦略に関して強硬姿勢を貫き、それが原因で選挙に敗北するならば本望だとまで公言するマケイン氏に有利に働いた。
サウスカロライナ(South Carolina)州、フロリダ(Florida)州の2州で、指名獲得に不可欠な勝利を獲得した後、マケイン氏はイラク撤退を公約している民主党候補たちについて「白旗を振っている」と攻撃した。マケイン氏は撤退期限の設定は「降伏」に等しいと述べ、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)に「米国を敗北させたと世界に告げるようなことはさせない」と断言している。(c)AFP/Mira Oberman