【4月23日 AFP】米ボストン・マラソン(Boston Marathon)爆発事件の容疑者兄弟の家族の歴史は、カフカス(Caucasus)地方の動乱がロシアの国境をはるかに越えてどのような影響を及ぼしたのか、その一端を垣間見せてくれる。

 ジョハル・ツァルナエフ(Dzhokhar Tsarnaev)容疑者(19)と死亡したタメルラン・ツァルナエフ(Tamerlan Tsarnaev)容疑者(26)の祖父母は第2次世界大戦中の1944年、旧ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)がチェチェン人に対して行った大規模な強制移住でキルギスタン(Kyrgyzstan、現キルギス)に移住させられた。

 両容疑者の両親は、より良い暮らしを求めてロシア南部のダゲスタン(Dagestan)共和国から米国へ渡った。そして両容疑者はイスラム過激思想に傾倒した。両容疑者の米国在住期間は10年を超えているが、この若い兄弟を殺人事件の容疑者へと変貌させた過去を解明するのにまず注目すべきは2人の出自だ。

■激動の歴史の中で何度も移住

 民族という意味では、ロシアのカフカス地方にあるチェチェン(Chechnya)共和国に大きなつながりがあるが、兄弟の父親アンゾル・ツァルナエフ(Anzor Tsarnaev)さんは旧ソ連のキルギスタンの生まれで、タメルランとジョハルの両容疑者の兄弟もそこで幼少時代の多くを過ごした。

 キルギスの国民保安国家委員会(GKNB)関係者が、同国の首都ビシケク(Bishkek)でAFPに語ったところによると、ソ連崩壊後、アンゾルさんは家族と共にキルギスタンを離れカフカス地方に戻った。

 しかしチェチェンの独立推進派とロシアが第1次チェチェン紛争に突入し、一家は1995年、カフカス地方を出て再びキルギスへ。キルギスの複数の情報源によると、ジョハル容疑者はキルギス生まれでキルギスの市民権を持っており、タメルラン容疑者はロシア南部のカルムイキア(Kalmykia)で生まれ、ロシアの市民権を持っていたという。

  ジョハル容疑者は、1996年にロシアの空爆で死亡したチェチェン独立派の指導者、ジョハル・ドゥダエフ(Dzhokhar Dudayev)にちなんで名付けられたのかもしれない。

 キルギス政府によると、一家はその後2001年に兄弟の母親の故郷であるダゲスタンに移住。しかしそこにも長くはとどまらず、2002年には米国へ入国、難民申請をして定住するに至った。

■好戦的になった背景は

 タメルラン容疑者は近年、動画投稿サイトユーチューブ(YouTube)の自分のページに好戦的な動画を投稿していたとみられている。2012年には6か月にわたってダゲスタンとチェチェンを訪れていた。

 カフカス地方に特化したニュースサイト「Caucasian Knot」のグリゴリー・シュベドフ(Grigory Shvedov)編集長は、両親のチェチェン紛争の記憶や、親族のスターリンによる強制移住の記憶、そして最近のシリア内戦やイラク戦争などの問題でタメルラン容疑者は好戦的になっていったのかもしれないと指摘する。

 しかし、シュベドフ編集長によると、一般的に、好戦的になる最も大きな要素は、米国支配とイスラム教が破壊されようとしているという見方に基づいたプロパガンダだという。(c)AFP/Stuart Williams