【1月13日 AFP】「血は全然出なかったし、だから泣かなかったよ」――7歳のモハメド君は、反政府デモへの弾圧が続くシリアから一家で脱出しようとした夜、双子の妹と一緒に撃たれた時のことをこう振り返った。モハメド君の様子は奇異なほど落ち着いている。「痛いな、って思って、それから何だか足があったかいなって思った」

 5月15日、モハメド君の膝を貫いたのは1発の銃弾だった。妹のムニラちゃんは右足の3か所から血を流して近くに倒れていた。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、前年3月にシリアで大規模な反政府デモが始まって以降、レバノンへ脱出した人びとのうち難民登録をしたのは5039人。モハメド君兄妹のように18歳未満の子どもたちは1800人に上る。多くは、国境を越えてすぐのレバノン北部の貧しい町、ワディ・ハレド(Wadi Khaled)周辺で立ち往生している。

■子どもたちが語る怒り、憎しみ、トラウマ

 激動の10か月で、シリアの子どもたちからは無邪気さが消えてしまった。着の身着のままで逃げてきたモハメド君一家8人は廃屋に住んでいる。家具といえば薄っぺらなマットレスだけで、その上に皆で寝る。

 AFPが今週ワディ・ハリドで取材した6~15歳、約20人の子どもたちの多くは、自分たちが負ったトラウマを語る言葉をうまく見つけられず、シリアのバッシャール・アサド大統領(Bashar al-Assad)は「子どもを食べる恐い怪物」だとばかり繰り返した。

 ファティマちゃんという8歳の女の子は内緒話をするように囁いた。「バッシャールのせいで逃げてきたの。おうちが壊されて、みんな殺されてるの。どうしてだかは、わかんない」。国連によると、シリアではこの10ヶ月で5000人以上が死亡した。どの子も、近所の住民や友達が死に傷ついている。

 周りの大人の話に影響されてか、アサド家の出自で今も政権中枢を取り巻くイスラム教少数派、アラウィ派(Alawite)に対する怒りや憎しみを向ける子どもたちも多い。9歳のラミ君が言う。「アラウィたちが逃げてる僕らを撃ったんだ。僕のおじさんは治安部隊に、ドリルで腕に穴を開けられた。赤ちゃんが殺されたうちもあるよ」
 
 アラウィはシーア派から分かれた派だが、ワディ・ハリドの難民の大半はスンニ派だ。多くは、国境近くの村タルカラフ(Tall Kalakh)か、反体制派と治安当局の激しい衝突が続くシリア中部ホムス(Homs)から逃げて来た。ホストファミリーの家に身を寄せている子も多いが、200人の子どもは廃校に住んでいる。

 レバノンの学校に登校させようという努力もなされているが、シリアではアラビア語が主言語なのに対し、レバノンでは大半の教科をフランス語か英語で教えているため、カリキュラムへの合流が難しい。援助団体に授業運営を頼っているのが現状だ。

■「正常」の感覚失っている子どもたち

 援助団体は、子どもたちのトラウマへの対応も支援している。国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)も子どものための国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン(Save the Children)」スウェーデン支部と共同で、子どもたちが心理的・社会的サポートを受けながら遊べる「セーフスペース」を提供する活動を開始した。

 ユニセフ駐レバノン代表のアナマリア・ラウリニ(Annamaria Laurini)氏は「故郷や家族、慣れ親しんだ環境から引き離された子どもたちは、『正常』という感覚を失っている」と語る。「子どもたちは自分が見たもの、経験したことに影響される。だが彼らには、子どもらしい子ども時代を送る権利がある」

 しかし、もはや手遅れかもしれない。子どもたちは既に自分の声で、目にした本物の銃撃戦や武器、抗議デモについて語っている。

 タルカラフから逃げて来た14歳のフザイファ君は、デモに加わった体験を話してくれた。「デモ中は全然怖くなかった。みんなで自由のために行進してたんだ」。けれど、と振り返る。「(治安部隊に)捕まって、しばらくそこにいた。その時は怖くてずっと泣いてたよ」 

 それでも、彼らの夢や希望は子どもらしいままだ。モハメド君が「帰って自転車に乗りたい。台所に置きっぱなしなんだ」と言えば、ムニラちゃんも残してきたぬいぐるみを取り返したいと言う。

 同じモハメドという名の別の7歳の男の子は、ホームシックがひどかった。「僕の国で戦争をしてるんだけど、誰が、何で戦ってるのか、僕には分からない」。モハメド君は恥ずかしそうに言った。「ただ、うちに帰りたいよ」 (c)AFP/Khaled Soubeih and Jocelyne Zablit