【8月17日 AFP】旧ソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元大統領(80)は15日、政府系のロシア新聞(Rossiyskaya Gazeta)の取材に応じ、20年前の1991年8月19日の旧ソ連共産党強硬派によるクーデターの数週間前に、身辺に危険が及ぶ恐れがあると当時のジョージ・H・W・ブッシュ(George H.W. Bush)米大統領から忠告を受けていたことを明かした。またゴルバチョフ氏はソ連邦崩壊を防げなかったことを悔やみ、ライバルだった故ボリス・エリツィン(Boris Yeltsin)氏を再度批判した。

 ゴルバチョフ氏はブッシュ氏から、共産党が民主改革に不満を持っているとの情報を伝えられたという。「ブッシュ氏側から電話があった。ブッシュ氏は、モスクワ(Moscow)のガブリル・ポポフ(Gavriil Popov)市長から得た情報について話した」

 だがゴルバチョフ氏は米大統領の発言を信用しなかった。ソ連国内に抜本的な変革の兆候がある中、武力で権力を掌握しようとするのは「大ばか者でなければしない」決断だと考えたからだ。しかし、「残念ながら、彼らは本当に大ばか者だった」とゴルバチョフ氏は振り返る。

 8月19日のクーデターにはソ連国家保安委員会(KGB)委員長や副大統領、ソ連の国防相と内務相も加わった。黒海(Black Sea)沿いで休暇中だったゴルバチョフ氏は軟禁され、クーデター勢力は政権獲得を表明し、民主化の時代の終焉を宣言した。「あの休暇をとるべきではなかった。あれは間違いだった」(ゴルバチョフ氏)

 クーデターは勃発から3日後に失敗。その後、エリツィン氏がロシアの権力を掌握し、数か月後にソ連は解体した。

■「ソ連の崩壊を止めたかった」

 大改革を相次いで打ち出したゴルバチョフ氏は、ソ連を葬り去る意図は一切なかったと語り、1991年12月にソ連を正式に解体させたエリツィン氏をこれまで同様厳しく批判した。

 ゴルバチョフ氏は、エリツィン氏について「彼には強い権力欲があった」と語り、「彼を、穏やかで心地よい場所で水キセルでも吸えるように、どこか適当なバナナ共和国に大使として送っていればよかった」と述べた。

 ブッシュ米大統領は、1989~93年の在任中、ゴルバチョフ氏に最も近い西側首脳の1人とされ、ロシア独立に動いたエリツィン氏への正式な支持表明も遅かった。米ソ大統領は、1990年11月に冷戦体制の終結を宣言するパリ憲章に署名。それからも多くの歴史的な記念イベントに両者そろって登場した。

 ゴルバチョフ氏は当時、米国とドイツは「ソ連が崩壊すれば、その破片が自分たちに襲いかかるかもしれない」との懸念からソ連を崩壊させない方針を支持していた、と信じていたという。「ブッシュ氏は、ウクライナやバルト海沿岸部(の独立)を引きとめていた」「だが、ワシントンのほかの連中は、腕まくりをして、密かに(ソ連崩壊に向けて)少しずつ行動していた」

 1989年11月のベルリンの壁の崩壊からまもなく、東西ドイツ統一の機運が高まる中、ソ連は分裂した。バルト3国の1つ、リトアニアは1990年3月に独立を宣言。91年にはバルト海沿岸の残りの2国とウクライナが続いた。

 ゴルバチョフ氏は、ソ連を救うためには、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を始めるのが遅すぎたかもしれないと語る。その一方で、1991年6月に西側諸国に求めた300億ドルの融資が実現していれば、ソ連は生き延びることができたかもしれないと語った。この融資が実現しなかった理由についてゴルバチョフ氏は、「アメリカと日本が反対したんだ」と語った。(c)AFP