【5月2日 AFP】2001年9月11日の未曾有のテロ攻撃によって、ウサマ・ビンラディン(Osama Bin Laden)容疑者は「イスラム聖戦」を21世紀の大命題として世界に突きつけた。そして、その名前は今や世界中に広まっている。

 全世界がテレビの生中継に固唾をのむ中、ビンラディン容疑者率いる国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の戦闘員は、ハイジャックした旅客機をニューヨーク(New York)の世界貿易センタービル(World Trade Center)に突入させ、倒壊させた。死者は3000人近くに上り、ビンラディン容疑者の名前は世界中に知れ渡ることとなった。

「米国は、その最もぜい弱な点において、アラーによる攻撃を受けたのだ」――。9.11同時多発テロの大虐殺は神の導きによってなされたものだと信じるビンラディン容疑者は、こう主張した。

 9.11後の世界は、ビンラディン容疑者の望んだように、欧米とイスラム武装勢力とが対立する激動の時代となった。ビンラディン容疑者は世界の最重要指名手配者となり、潜伏せざるを得なくなったが、一方で世界的なイスラム聖戦運動の象徴となった。

 9.11から4か月後に公開されたビデオメッセージで、ビンラディン容疑者は次のように宣言した。「ビンラディンとその支持者たちの生死がどうであれ、米国の終焉は目前だ。イスラムの人びとの目覚めは、起きたのだ」

■サウジ生まれの対ソ戦の聖戦士、反米に転じアルカイダ創設

 柔らかな語り口が印象的なビンラディン容疑者は1957年、サウジアラビアの首都リヤド(Riyadh)の裕福な家庭に生まれた。多数の兄弟姉妹に囲まれて育ち、工学の学位を取得。身長は、子どもの頃から高かった。当時を知る人びとは、常に信仰心の深い人物だったと語る。

 劇的な変化が訪れたのは、多くのイスラムの若者たちにとって転換点となった79年だった。イラン革命、ソ連のアフガニスタン進攻、エジプト・イスラエル平和条約締結などの出来事が相次ぎ、多くの若者たちが過激化した。

 若きビンラディン容疑者は、新たな理想をアフガニスタンにぶつけた。ソビエト連邦の占領に対抗するイスラム教徒たちに共感し、資金と戦闘員を集め、84年にパキスタンのペシャワル(Peshawar)で対ソ聖戦(ジハード)に参加。この戦いは、米国やサウジアラビアに支援されたものだった。

 ところが、90年にイラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein)大統領がクウェートに進攻したことを受け、米軍がサウジアラビア駐留を始める。ビンラディン容疑者は、メッカ(Mecca)やメディナ(Medina)などのイスラムの聖地を抱えた祖国に異教徒の軍隊が駐留することを許せなかった。

 サウジアラビア王政を批判したために市民権をはく奪され、国を追放されたビンラディン容疑者は、スーダンに移住した。キリスト教徒や精霊信仰者らとの内戦状態にあったスーダンは、ビンラディン容疑者を歓迎。ここで、ビンラディン容疑者は右腕となるアイマン・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)容疑者と出会い、「アルカイダ」を創設し、5年かけて組織を盤石なものにする。

 96年にスーダンを去るころには、欧米情報当局はアルカイダといくつかのテロ事件とを関連づけるようになっていた。

■タリバンと連携、「対米ジハード」を宣言

 続いてアフガニスタンに向かったビンラディン容疑者は、そこで強硬派のタリバン(Taliban)という支持者を得た。ビンラディン容疑者は資金と戦闘員をタリバンに提供し、見返りにアフガン国内にイスラム戦闘員の訓練キャンプを作ることを許された。米中央情報局(CIA)は、9.11同時多発テロ前には約2万人がキャンプで訓練を受けていたと推計している。

 97年の米CNNのインタビューの中で、ビンラディン容疑者は目的をはっきりと示した。「米政府に対するジハード(聖戦)を宣言する。米政府に正義はなく、犯罪的で専制的だからだ」

 98年8月7日、アルカイダによる初めての国際テロ事件が起きた。ケニアとタンザニアの米大使館前で自動車爆弾が爆発し、米国人は12人を含む224人が死亡した。
 
 そして、その2年後、米同時多発テロが起きる。米国はタリバンにビンラディン容疑者の身柄引き渡しを求めたが、タリバンは拒否し、米国主導のアフガニスタン進攻によってタリバン体制は崩壊した。

 ビンラディン容疑者には2500万ドル(約20億4000万円)の賞金がかけられ、大規模な捜索が続けられてきたが、身柄を拘束することは長らく出来なかった。

■「わたしがいなくとも、ジハードは続く」

 ビンラディン容疑者は、人生の目的を9.11同時多発テロでかなえたと言えるだろう。9.11は、イスラムの君臨を夢見る世界中のイスラム武装勢力を奮い立たせたのだ。

 米軍によるイラク進攻後には、「テロとの戦い」は成功しないとの考えも広がった。イラク戦争には、無数の新たなイスラム戦闘員たちが大義のもとにイラク入りし、簡易爆発物(IED)も編み出された。ビンラディン容疑者はこの間、自らの信念が多くの若者たちの心をとらえ、世界中の怒れる理想主義者たちの心に火をつけるのを目撃してきただろう。

 ビンラディン容疑者は9.11テロからしばらく後に、こう語っている。「ジハードは続くだろう。わたしがいなくなったとしてもだ」

(c)AFP

【関連記事】
ビンラディン容疑者を殺害、オバマ米大統領「正義はなされた」
知られざるビンラディン容疑者、夫人と息子が語る素顔