【1月3日 AFP】アフガニスタンの首都カブール(Kabul)郊外のほこりっぽい街角にあるカフェ「ル・ペリカン・ブーランジェ」の外壁に、大きなオーブンから取り出されるペストリーの乗ったトレイを見つめながらにっこりと笑う子どもたちの写真が貼られている。
 
 横の棚に並ぶのはクロワッサンやパン・オ・ショコラ、バゲット、りんごや桃のタルト、パイ、シュガークッキーといったいろいろな種類のパンや菓子パンだ。10代の若者、ハビブさんとザヒールさんがそれらをていねいに紙の袋に包んでいる。

 戦乱のせいでかつての洗練された面影をまったく残さないカブールで、苦しい毎日を送る避難民たちのコミュニティーにとって、「ル・ペリカン」は心のオアシス以上の存在である。

 このカフェはフランス人オーナーのジャック・イリアール(Jacques Hiriart)さんとアリアーヌ・イリアール(Ariane Hiriart)さん夫妻が、アフガニスタンで長く差別され、社会から排除されてきたハザラ人の子どもたちを教育する目的で、まったくなにもないところから作り上げた店だ。

 カブール南東部にあるイリアール夫妻の職業訓練センターでは、大人も含む約200人のハザラ人が読み書きを学び、その後、フランスパンや菓子作りに取り組んでいる。目標はサービス業で仕事につながるスキルを身につけること、だとジャックさんは言う。ただし、アフガニスタンが世界から観光客をひきつけるようになるのは、かなり先のことだろうとも思っている。「みんなまだ若いし、ここにはホテルも多くはないから、いい職を見つけるのは難しい」

「ル・ペリカン」で働く子どもたちの多くは、店に直接やって来た。アリアーヌさんが、こんな子たちがいるんだけど、と聞いて勉強しに来るよう誘った子たちもいる。

 ジャックさん、アリアーヌさんとアフガニスタンのつながりは長い。最初は2000年、スイスのNGOの仕事でカブールで働いた。「コンピューターの後ろに座っているだけで、外の世界で起こっていることを見ない仕事にはあまりやりがいを感じなかった。わたしたちにとって一番大事なことは、地元の人々と直接触れ合うことでした」(ジャックさん)。旧支配勢力のイスラム原理主義組織タリバン(Taliban)がまだ残虐な支配を続けていたときで、当時アフガニスタン入りしていた数少ないNGO団体は、ハザラ人を援助することを禁じられた。

 イスラム教スンニ派のタリバン政権の下で、昔からあったハザラ人に対する差別はいっそう悪化した。ハザラ人はシーア派だからだ。かれらは、13世紀アジアの遊牧民族たちを支配したモンゴルの初代皇帝チンギスハン(Genghis Khan)の系譜を引くと考えられている。

 2001年9月11日の米同時多発テロの2日後、イリアールさん夫妻はアフガニスタンから発つ最後の脱出便で国外へ避難した。1月経たないうちに米国主導の攻撃によって、タリバン政権は転覆した。間をおかずしてイリアールさん夫妻はカブールに舞い戻った。「わたしたちが心から本当にしたかったこと・・・最も弱い立場の人間、つまりハザラ人の子どもたちを助けたかったのです」(アリアーヌさん)
 
 センターの年間運営費は12万ドル。カフェでのパンの売り上げは、2009年4月から12月末までで1万2000ドルだった。運営は私的な寄付に頼っているのが実情だ。

 これまでのところで、イリアールさん夫妻は思い描いていたことが一定に達したと思っている。さらに自分たちのアイデアを広げるためには、ほかの人の助けが必要だ。例えば、別の夫婦にパン屋の運営を任せて、自分たちは訓練センターに専念するといった具合だ。しかしジャックさんいわく「協力してくれている人を探してはいるのですが、なかなか簡単じゃない。アフガニスタンに来たがる人は、あまりいないですからね」。(c)AFP/Lynne O'Donnell