【1月28日 AFP】マダガスカルの首都アンタナナリボ(Antananarivo)で26日に暴徒化したマルク・ラベロマナナ(Marc Ravalomanana)大統領に対する抗議デモでは、27日に少なくとも31人の遺体が発見され、これまでに確認された死者は34人となった。関係当局が27日明らかにした。

 消防隊は27日、全焼したショッピングセンターのがれきの中から焼死体25体、大統領所有の食品会社の倉庫から6体、計31体の遺体を収容した。警察によると、この6人は、倉庫を略奪しようと押し入った際に将棋倒しになって死亡したという。

 27日にはこのほかにも刑務所からの脱走を試みた受刑者らに治安部隊が発砲して1人が死亡、10人が負傷した。26日には抗議デモで2人の死亡が確認されている。

■デモの経緯

 反政府デモは、反大統領派のAndry Rajoelinaアンタナナリボ市長(34)が呼びかけたもので、26日にはデモ隊が国営ラジオ局など複数の建物を襲撃・放火し、混乱が広がった。

 市長の代理人によると、大統領が所有する民放テレビ局MBSをデモ隊が包囲した際、ガードマンが発砲し、デモ隊の1人が頭を撃ち抜かれた。市長は27日、デモの中止を呼びかけたが、その一方で、このガードマンが法の裁きを受けるまでは話し合いに応じないとしている。

 市長は2007年の市長選に無所属で出馬し、大統領与党の対抗馬を破って当選。以来、「自由の縮小」や、韓国企業への大規模な農地の貸し出しをめぐり、大統領への批判を容赦なく繰り返してきた。前月には、ディディエ・ラチラカ(Didier Ratsiraka)前大統領とのインタビューを放映したとして自身が所有するテレビ局Vivaが閉鎖されたこともあり、政府への非難を強めてきた。

■政情不安の歴史

 マダガスカルは政治の混乱に翻弄(ほんろう)されてきた。2001年にラベロマナナ現大統領と当時現職だったラチラカ前大統領が争った大統領選では、ラチラカ氏が敗北を認めなかったため、暴力と政治危機を招いた。

 両候補はそれぞれの政府を樹立したため、2002年5月にラベロマナナ氏が正式に大統領に就任するまで、2つの首都、2つの政府、2つの軍が併存する異常事態が続いた。なお、ラチラカ前大統領は同年7月フランスに出国。現在はフランスで亡命生活を送っている。

 2006年の大統領選ではラベロマナナ大統領が再選されたが、選挙中から首都で多数の手榴弾がさく裂するなど、極度の政情不安に見舞われた。(c)AFP/Gregoire Pourtier