ベトナム戦争の傷跡、クラスター爆弾被害に苦しむラオス
このニュースをシェア
【12月2日 AFP】ラオス北部シェンクアン(Xiang Khouang)県で農業を営んでいたタ・ドゥアンチョム(Ta Duangchom)さん(39)は、両腕と片眼がない。2人の息子と収穫に出かけた時に、目の前でクラスター爆弾の不発弾が爆発したのだ。
タさんには妻と7人の子どもがいるが、農業を続けることはできず、現在、家計を支えるのは妻の収入だけだ。
ベトナム戦争時、米軍はベトナムと国境を接するラオスにも、北ベトナムへの補給路を断つとの名目で大量のクラスター爆弾を投下した。国際不発弾処理団体のラオス支部「UXOラオス」によると、ベトナム戦争時に米軍が投下したクラスター爆弾は2億6000万発にのぼる。このうち約30%が不発弾となって、ラオス全域に残り、1975年の戦争終結後も、数千人に被害をもたらし続けている。被害による身体的障害で、家族を養うことができない働き盛りの人びとも少なくない。
農業従事者が多数を占めるラオスでは、こうした状況下での農作業は、常に不発弾の危険性と隣り合わせだ。平均するとラオス人口全670万人のうち、毎日1人が不発弾で死亡している計算になるという。
なかでも、最も多く不発弾が残るのが、戦争時に激しい爆撃を受けたシェンクアン県だ。
警察官になることを夢見ていたトゥミー・シランパン(Thoummy Silamphan)さん(19)は、8歳の時に竹を切りにでかけ不発弾被害にあい、職につけずにいる。
さらにラオスの医療体制の不備が、不発弾被害の悪化に拍車をかける。
タさんが爆弾で負傷した際、トラクターで搬送された医院には適切な治療器具がなかっため、さらに別の病院に移送された。タさんが右腕を失ったのは、この時の処置の遅れによる感染症のためだ。
一方、身重の妻と5人の子どもを持つイェ・リー(Yae Lee)さん(31)は8月、農作業中に畑に鋤を打ち込んだところ、不発弾が爆発し、両脚を失った。現在は農作業はできないが、イェさんは失った両脚に代わる義足の完成を待っている。ラオスと同じ社会主義国家だったモンゴルの援助で設立された医療センターの支援によるもので、イェさんは義足が完成したら、畑の作業に戻るつもりだ。
しかし、わずか3か所の医療センターでは、増え続けるクラスター爆弾被害者の対処にはとても間に合わないのが現状だ。
「ラオスの不発弾汚染はスケールがあまりに大きいため、対処は非常に困難だ」と、クラスター兵器連合(Cluster Munition Coalition、CMC)のトーマス・ナッシュ(Thomas Nash)氏は語る。
ノルウェーのオスロ(Oslo)で3日に行われるクラスター爆弾禁止条約の署名式では、100を超える国々とともにラオスも署名する予定だが、条約には被害者の治療や地雷除去活動への支援条項も含まれることが期待される。
イェさんが義足の完成を待ち望む一方、タさんやトゥミーさんも、ラオスの人びとに不発弾の危険性を伝える活動を始めた。
警察官になる夢はあきらめたトゥミーさんだが、クラスター不発弾の撲滅という新たな目標をみつけ、障害を乗り越え事務所でパソコンに向かっている。「ラオスの人びとが充実した暮らしを送れるよう、地中に残るクラスター爆弾が全てなくなる日のことを考えている」。(c)AFP/Claire Truscott
タさんには妻と7人の子どもがいるが、農業を続けることはできず、現在、家計を支えるのは妻の収入だけだ。
ベトナム戦争時、米軍はベトナムと国境を接するラオスにも、北ベトナムへの補給路を断つとの名目で大量のクラスター爆弾を投下した。国際不発弾処理団体のラオス支部「UXOラオス」によると、ベトナム戦争時に米軍が投下したクラスター爆弾は2億6000万発にのぼる。このうち約30%が不発弾となって、ラオス全域に残り、1975年の戦争終結後も、数千人に被害をもたらし続けている。被害による身体的障害で、家族を養うことができない働き盛りの人びとも少なくない。
農業従事者が多数を占めるラオスでは、こうした状況下での農作業は、常に不発弾の危険性と隣り合わせだ。平均するとラオス人口全670万人のうち、毎日1人が不発弾で死亡している計算になるという。
なかでも、最も多く不発弾が残るのが、戦争時に激しい爆撃を受けたシェンクアン県だ。
警察官になることを夢見ていたトゥミー・シランパン(Thoummy Silamphan)さん(19)は、8歳の時に竹を切りにでかけ不発弾被害にあい、職につけずにいる。
さらにラオスの医療体制の不備が、不発弾被害の悪化に拍車をかける。
タさんが爆弾で負傷した際、トラクターで搬送された医院には適切な治療器具がなかっため、さらに別の病院に移送された。タさんが右腕を失ったのは、この時の処置の遅れによる感染症のためだ。
一方、身重の妻と5人の子どもを持つイェ・リー(Yae Lee)さん(31)は8月、農作業中に畑に鋤を打ち込んだところ、不発弾が爆発し、両脚を失った。現在は農作業はできないが、イェさんは失った両脚に代わる義足の完成を待っている。ラオスと同じ社会主義国家だったモンゴルの援助で設立された医療センターの支援によるもので、イェさんは義足が完成したら、畑の作業に戻るつもりだ。
しかし、わずか3か所の医療センターでは、増え続けるクラスター爆弾被害者の対処にはとても間に合わないのが現状だ。
「ラオスの不発弾汚染はスケールがあまりに大きいため、対処は非常に困難だ」と、クラスター兵器連合(Cluster Munition Coalition、CMC)のトーマス・ナッシュ(Thomas Nash)氏は語る。
ノルウェーのオスロ(Oslo)で3日に行われるクラスター爆弾禁止条約の署名式では、100を超える国々とともにラオスも署名する予定だが、条約には被害者の治療や地雷除去活動への支援条項も含まれることが期待される。
イェさんが義足の完成を待ち望む一方、タさんやトゥミーさんも、ラオスの人びとに不発弾の危険性を伝える活動を始めた。
警察官になる夢はあきらめたトゥミーさんだが、クラスター不発弾の撲滅という新たな目標をみつけ、障害を乗り越え事務所でパソコンに向かっている。「ラオスの人びとが充実した暮らしを送れるよう、地中に残るクラスター爆弾が全てなくなる日のことを考えている」。(c)AFP/Claire Truscott