ダルフール紛争の解決の糸口見つからず、和平進展なしの2007年を振り返る
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【12月18日 AFP】スーダン西部ダルフール(Darfur)地方でアラブ系の政府軍や民兵組織が黒人系の反政府勢力と対立し、黒人系住民への暴力や殺戮(さつりく)が繰り返される、いわゆる「ダルフール紛争」。その解決への道のりは、スーダン政府が国連(UN)とアフリカ連合(African Union、AU)の合同平和維持部隊(UNAMID)の受け入れをまだ実現していないというありさまで、まったく出口が見えないまま2007年も終わろうとしている。
前年5月にスーダン政府と反政府勢力の一派閥の間で調印され、全勢力・全派閥との調印を目指した和平協定は、10月のリビアでのダルフール和平会議を主要な反政府勢力がボイコットしたこともあり、暗礁に乗り上げている。国連のヤン・エリアソン(Jan Eliasson)事務総長特使とAUのサリム・アフメド・サリム(Salim Ahmed Salim)特使は「協議は継続し、政治的解決を目指す」ことを確認するにとどまった。
同会議を欠席した主要な反政府組織「正義と平等運動(Justice and Equality Movement、JEM)」と「スーダン解放軍(Sudan Liberation Movement、SLM)」は、ダルフール地方の治安が改善されるまで、政府との和平交渉の席にはつかないとしている。
一方スーダン政府は、政府軍は10月からのダルフール停戦協定を遵守しているとしているが、国連は6日の報告書で「政府軍はダルフール住民の殺戮を続け、人権侵害の責任も問われていない」と指摘。非政府系シンクタンク、国際危機グループ(International Crisis Group、ICG)は「暴力は再び増加傾向にあり、人道支援物資が現地に行き届かなくなっている。国際的な平和維持活動も軌道に乗っておらず、政治的な混乱は続いている」と懸念を表明している。
■ダルフール紛争とは
ダルフール紛争は2003年2月、ダルフール地方の黒人住民らがアラブ系の中央政府に対し「同地方の政治的・経済的な孤立化」を停止するよう求めて反政府組織を結成したことに端を発している。これを機にアラブ系の政府軍や民兵組織ジャンジャウィード(Janjaweed)が黒人住民の無差別襲撃を行うようになり紛争が激化した。最近では反政府組織の内部分裂の動きが加速して新たな暴力の火種となっている。
米政府が「ジェノサイド」と称するこの紛争では、国連によるとこれまでに死者20万人、避難民200万人が発生している。(c)AFP/Mohamed Hasni
前年5月にスーダン政府と反政府勢力の一派閥の間で調印され、全勢力・全派閥との調印を目指した和平協定は、10月のリビアでのダルフール和平会議を主要な反政府勢力がボイコットしたこともあり、暗礁に乗り上げている。国連のヤン・エリアソン(Jan Eliasson)事務総長特使とAUのサリム・アフメド・サリム(Salim Ahmed Salim)特使は「協議は継続し、政治的解決を目指す」ことを確認するにとどまった。
同会議を欠席した主要な反政府組織「正義と平等運動(Justice and Equality Movement、JEM)」と「スーダン解放軍(Sudan Liberation Movement、SLM)」は、ダルフール地方の治安が改善されるまで、政府との和平交渉の席にはつかないとしている。
一方スーダン政府は、政府軍は10月からのダルフール停戦協定を遵守しているとしているが、国連は6日の報告書で「政府軍はダルフール住民の殺戮を続け、人権侵害の責任も問われていない」と指摘。非政府系シンクタンク、国際危機グループ(International Crisis Group、ICG)は「暴力は再び増加傾向にあり、人道支援物資が現地に行き届かなくなっている。国際的な平和維持活動も軌道に乗っておらず、政治的な混乱は続いている」と懸念を表明している。
■ダルフール紛争とは
ダルフール紛争は2003年2月、ダルフール地方の黒人住民らがアラブ系の中央政府に対し「同地方の政治的・経済的な孤立化」を停止するよう求めて反政府組織を結成したことに端を発している。これを機にアラブ系の政府軍や民兵組織ジャンジャウィード(Janjaweed)が黒人住民の無差別襲撃を行うようになり紛争が激化した。最近では反政府組織の内部分裂の動きが加速して新たな暴力の火種となっている。
米政府が「ジェノサイド」と称するこの紛争では、国連によるとこれまでに死者20万人、避難民200万人が発生している。(c)AFP/Mohamed Hasni