【8月27日 AFP】旧フセイン政権下で弾圧されてきたイラク北部のクルド人自治区に、イラク各地から宗派間抗争で家を追われた国内避難民が助けを求めて殺到している。

 自治区の担当者によると、山岳部の都市の街スレイマニヤ(Sulaimaniyah)には、過去1年半に3672家族、約1万8500人が避難してきた。そのうち70%がスンニ派アラブ人で、高学歴の人々も少なくない。

 30年間住み慣れたバグダッド南部の家を捨て、家族と避難してきた59歳の男性は、「シーア派武装組織が車4台で来て、24時間以内に立ち退かなければ殺す、と言われた。スレイマニヤを避難先に選んだのは、イラクで最も安全な場所だと思ったからだ」と話した。男性の一族にはスンニ派、シーア派の両方がいて、今やクルド人自治区以外ではどこでも襲撃の対象となり得るという。

 自治区側は快く避難民を受け入れており、赤新月社(Red Crescent)やクルド人人道支援機関などがテントや水、食料、寝具、衣服などを支給している。だが、避難民らの生活はぎりぎりだ。

 多くは幹線道路脇の荒れ地に設営したテントや掘っ立て小屋にすし詰め状態で、わずかな援助物資にすがって生活している。子どもたちはぼろぼろの服を着てはだしで駆け回り、泥の中で遊ぶ。助産師がいないため、ある妊婦は自力で子どもを産んだ。

 子ども9人に物ごいをさせているという元農民の男性は、「(シーア派中心の)政府は盛んに『和解』と口にするが、和解とは何を指すのか。家を失ったわれわれに対しては、何もしてくれない。シリアやヨルダンの避難民ばかり取り上げ、国内避難民には見向きもしない」と憤慨する。男性の故郷、バグダッド北部ディヤラ州(Diyala)は激しい戦闘で、ほとんどの農民が家畜や家を残して土地を去った。

 援助物資は、毎月発行される証明書に基づいて配給されるが、証明書を持っていても受け取れるはずの物資が回ってこないこともある。すっかり日焼けした女性は、「子どもたちに着せてやる服がない。食事は、そのときあるものを料理する。米が手に入ることもあるが、野菜はない。何もかもが不足している。とにかく援助を待ち望んでいる」と話した。

 イラク戦争終結から4年、避難民たちにとって旧体制は「よき日々」として回顧されるまでになっている。(c)AFP/by Jennie Matthew