【7月4日 AFP】4日、パレスチナ自治区のガザ地区(Gaza Strip)でイスラム系武装勢力に拉致されていた英国放送協会(BBC)のアラン・ジョンストン(Alan Johnston)記者(45)が解放され、記者本人や英国政府のみならず、解放を訴えてきたアラブ世界をも含む支援者らは一斉に安堵した。

■開口一番「事態を報道できなかったこと」に対する悔しさを語る

 パレスチナ原理主義組織ハマス(Hamas)の仲介により、「イスラム軍(Army of Islam)」を名乗るパレスチナのイスラム系武装勢力から解放されたジョンストン記者は、ハマス幹部らとの共同記者会見に疲れた表情ながらも、極めて落ち着いた態度で臨んだ。

 ジョンストン氏は3月12日に現地のBBC事務所からの帰宅途上で「イスラム軍」に銃を突きつけられ、拉致された。パレスチナ自治区では過去にも欧米人が拉致される事件はあったが、同氏の拘束期間は4か月と異例の長さに及んだ。

 解放にあたりジョンストン記者は開口一番、ハマスとパレスチナ解放機構(PLO)最大派閥ファタハのガザ地区での戦闘と、ハマスによる6月15日のガザ地区制圧について報道できなかった点が、悔しいと述べた。

 同氏は「拘束されていた(武装勢力の)潜伏先で、周囲の街路での戦闘の音などが聞こえ、極度に混乱した出来事が進行中であることが分かるのに、それに関する報道ができなかったことは、さらなる悪夢となった」と解放後、BBCの電話インタビューに語った。「知ることができたのは、何か大きなことが起こっているということだけだった。私がガザに駐在を開始して以来、最大のニュースだということは分かったのに、独房に横たわっているだけで、一言の言葉を発することもできなかった」

■ガザ地区に留まり報道を続けた同記者を中東社会も評価

 ジョンストン記者は2004年4月から3年間の予定でガザ地区へ駐在していた。同地区の治安情勢の悪化から、欧米メディアの記者の大半は引き上げたが、独身で子どももいない同記者はガザ地区に留まり、現地の状況を報道し続けた。同氏の拘束事件に関して、英国政府からの解放要求だけでなく、中東で対立関係にある諸国や派閥などが同じく解放を訴えて一致団結したのは、欧米記者のほとんどが引き上げるなか、ラジオやテレビ、インターネットを通じて、現地の状況を伝えてきたジョンストン氏の報道が、中東社会でも評価された結果だった。

 ジョンストン記者は1962年、タンザニアのリンディ(Lindi)生まれ。英国北部エディンバラ(Edinburgh)の共学私立校ダラー・アカデミー(Dollar Academy)を卒業後に、ダンディー大学(Dundee University)で英語学と政治学を専攻、さらにカーディフ大学(Cardiff University)の大学院でジャーナリズムを研究した。

 1991年にラジオ局のBBCワールド・サービス(BBC World Service)に入社後、1993年から95年までウズベキスタンに駐在した。さらに1997年から98年にかけてはタリバン(Taliban)政権下のアフガニスタンで、首都カブール(Kabul)で駐在員として取材活動に携わった。その後は、BBCワールドサービスの本部スタジオで、看板番組「ワールド・トゥディ」の制作に携わっていた経験を持つ。

 2005年のイスラエルの一方的な占領地からの撤退、2006年パレスチナ総選挙でのハマスの勝利、同年のガザ地区へのイスラエル軍の侵入、過去数か月にわたるハマスとファタハの戦闘などを取材したのは、すべてジョンストン記者だった。(c)Phil Hazlewood