イスラム原理主義組織ハマスがガザ地区の主要拠点を占拠 - ハマスとファタハの対立、2年間の軌跡 -
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【6月15日 AFP】イスラム原理主義組織ハマス(Hamas)は15日未明、ガザ地区(Gaza Strip)内のパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハ(Fatah)の主要拠点すべてを制圧した。その数時間前に、マフムード・アッバス(Mahmud Abbas)パレスチナ自治政府議長が統一政府の解散と非常事態を宣言。7日に再燃した両派の派閥抗争では、これまでに少なくとも113人が死亡した。
2006年1月のパレスチナ評議会(議会)選挙でハマスがファタハに圧勝してからの経過を追う。
■2006年
1月25日:評議会選挙でハマスが当時の与党ファタハに圧勝。ハマスを「テロリスト集団」と見なすイスラエルと欧米諸国は、ハマス政権の承認を拒否し、アッバス議長とのみ接触を続ける。
3月28日:ハマス単独内閣が正式発足。ハマスは武装闘争の放棄、イスラエルの承認、過去のイスラエルと自治政府間の合意順守を拒否する姿勢を継続。欧米諸国が自治区への直接支援を停止したため、自治区内の経済が悪化する。
6月28日:パレスチナ武装勢力がイスラエル軍部隊を襲撃し、兵士1人を拉致したことから、イスラエルは報復としてガザ地区に進攻。ハマスの閣僚や評議会議員ら約60人を拘束した。
9月2日: パレスチナ自治政府の職員らが、給与未払い問題でストライキを開始。2007年1月まで続く。
10月1日:ハマスとファタハによる連立内閣樹立に向けた協議が進められる中、両派の衝突で8人が死亡。
11月1-7日:イスラエル軍がガザ地区北部に進攻、パレスチナ人56人が死亡。月末、連立内閣樹立に向けた協議が決裂する。
11月26日:イスラエルのエフド・オルメルト(Ehud Olmert)首相とアッバス議長が、ガザ地区におけるイスラエル軍とパレスチナ武装組織の戦闘停止で合意。
12月16日:アッバス議長、ハマスと新内閣の樹立で合意できなかった場合は議長と評議会の前倒し選挙を行うと発表。11-23日の両派の衝突で、少なくとも20人が死亡した。
12月23日:イスラエルのエフド・オルメルト(Ehud Olmert)首相がアッバス議長と会談。
■2007年
2月2日:国連(UN)、欧州連合(EU)、米国、ロシアの4者による中東カルテット(Middle East Quartet)が、イスラエルと平和的に共存できるパレスチナ国家の建設を目指すことで合意する。
2月4日:ハマスとファタハが停戦に合意。衝突の死者は2か月間で100人にのぼった。
2月7日:アッバス議長とハマスのイスマイル・ハニヤ(Ismail Haniya)首相がサウジアラビアのメッカ(Mecca)で会談、統一政権の設立で合意。
3月17日:パレスチナ統一政権が発足。
4月7日:イスラエル軍がガザ地区を4か月ぶりに空爆。1人死亡。
4月24日:ハマス系武装組織がイスラエルの攻撃を非難し、同国との停戦合意の破棄を宣言。
5月11日:新しい治安計画をめぐってハマスとファタハの支持者同士が衝突する。
5月14日:治安計画への非難が高まる中、ハニ・カワスミ(Hani al-Qawasmeh)内相が辞任。
5月15日:ハマス、ファタハ間の抗争が激化、16人死亡。
5月16日:ハマス、ファタハ間の銃撃戦で19人死亡。パレスチナ武装組織のロケット弾攻撃の報復として、イスラエル軍がガザ地区を空爆、武装組織メンバー4人を殺害。
5月18日:抗争の犠牲者の葬式で銃撃戦が発生し、3人が死亡。イスラエル軍の空爆で5人死亡。
5月19日:ハマスとファタハが5度目の停戦合意を発表。
5月24日:イスラエル軍がハマス閣僚ら33人を拘束。
6月7日:ガザ地区ラファ(Rafah)で、ファタハ系の警備員1人がハマス系武装組織に殺害される。再び停戦合意が破棄される。
6月9日:パレスチナ武装組織がイスラエル軍の国境検問所を襲撃。武装組織メンバー1人が死亡した。
6月10日:ハマス、ファタハ間の抗争で6人死亡。
6月11日:ハマス、ファタハ間の抗争で15人死亡。
6月12日:ガザ地区での両派の戦闘で28人死亡。ファタハは、停戦しなければ連立内閣を離脱すると警告した。
6月13日:ハマス系武装組織がガザ市(Gaza City)の自治政府議長府を攻撃、8人死亡。
6月14日:ハマス系戦闘員、ガザ地区内のファタハの複数の治安施設を制圧。アッバス議長は統一政府を解散し、非常事態を宣言した。
6月15日:ハマス系武装組織、議長府を含むガザ地区のファタハ拠点をすべて制圧したと宣言。ハニヤ首相は、ガザ地区単独で国家宣言を行う可能性を否定。(c)AFP
2006年1月のパレスチナ評議会(議会)選挙でハマスがファタハに圧勝してからの経過を追う。
■2006年
1月25日:評議会選挙でハマスが当時の与党ファタハに圧勝。ハマスを「テロリスト集団」と見なすイスラエルと欧米諸国は、ハマス政権の承認を拒否し、アッバス議長とのみ接触を続ける。
3月28日:ハマス単独内閣が正式発足。ハマスは武装闘争の放棄、イスラエルの承認、過去のイスラエルと自治政府間の合意順守を拒否する姿勢を継続。欧米諸国が自治区への直接支援を停止したため、自治区内の経済が悪化する。
6月28日:パレスチナ武装勢力がイスラエル軍部隊を襲撃し、兵士1人を拉致したことから、イスラエルは報復としてガザ地区に進攻。ハマスの閣僚や評議会議員ら約60人を拘束した。
9月2日: パレスチナ自治政府の職員らが、給与未払い問題でストライキを開始。2007年1月まで続く。
10月1日:ハマスとファタハによる連立内閣樹立に向けた協議が進められる中、両派の衝突で8人が死亡。
11月1-7日:イスラエル軍がガザ地区北部に進攻、パレスチナ人56人が死亡。月末、連立内閣樹立に向けた協議が決裂する。
11月26日:イスラエルのエフド・オルメルト(Ehud Olmert)首相とアッバス議長が、ガザ地区におけるイスラエル軍とパレスチナ武装組織の戦闘停止で合意。
12月16日:アッバス議長、ハマスと新内閣の樹立で合意できなかった場合は議長と評議会の前倒し選挙を行うと発表。11-23日の両派の衝突で、少なくとも20人が死亡した。
12月23日:イスラエルのエフド・オルメルト(Ehud Olmert)首相がアッバス議長と会談。
■2007年
2月2日:国連(UN)、欧州連合(EU)、米国、ロシアの4者による中東カルテット(Middle East Quartet)が、イスラエルと平和的に共存できるパレスチナ国家の建設を目指すことで合意する。
2月4日:ハマスとファタハが停戦に合意。衝突の死者は2か月間で100人にのぼった。
2月7日:アッバス議長とハマスのイスマイル・ハニヤ(Ismail Haniya)首相がサウジアラビアのメッカ(Mecca)で会談、統一政権の設立で合意。
3月17日:パレスチナ統一政権が発足。
4月7日:イスラエル軍がガザ地区を4か月ぶりに空爆。1人死亡。
4月24日:ハマス系武装組織がイスラエルの攻撃を非難し、同国との停戦合意の破棄を宣言。
5月11日:新しい治安計画をめぐってハマスとファタハの支持者同士が衝突する。
5月14日:治安計画への非難が高まる中、ハニ・カワスミ(Hani al-Qawasmeh)内相が辞任。
5月15日:ハマス、ファタハ間の抗争が激化、16人死亡。
5月16日:ハマス、ファタハ間の銃撃戦で19人死亡。パレスチナ武装組織のロケット弾攻撃の報復として、イスラエル軍がガザ地区を空爆、武装組織メンバー4人を殺害。
5月18日:抗争の犠牲者の葬式で銃撃戦が発生し、3人が死亡。イスラエル軍の空爆で5人死亡。
5月19日:ハマスとファタハが5度目の停戦合意を発表。
5月24日:イスラエル軍がハマス閣僚ら33人を拘束。
6月7日:ガザ地区ラファ(Rafah)で、ファタハ系の警備員1人がハマス系武装組織に殺害される。再び停戦合意が破棄される。
6月9日:パレスチナ武装組織がイスラエル軍の国境検問所を襲撃。武装組織メンバー1人が死亡した。
6月10日:ハマス、ファタハ間の抗争で6人死亡。
6月11日:ハマス、ファタハ間の抗争で15人死亡。
6月12日:ガザ地区での両派の戦闘で28人死亡。ファタハは、停戦しなければ連立内閣を離脱すると警告した。
6月13日:ハマス系武装組織がガザ市(Gaza City)の自治政府議長府を攻撃、8人死亡。
6月14日:ハマス系戦闘員、ガザ地区内のファタハの複数の治安施設を制圧。アッバス議長は統一政府を解散し、非常事態を宣言した。
6月15日:ハマス系武装組織、議長府を含むガザ地区のファタハ拠点をすべて制圧したと宣言。ハニヤ首相は、ガザ地区単独で国家宣言を行う可能性を否定。(c)AFP