中国 問われるスポーツ選手指導者のレベル
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【6月21日 AFP】Zhang Jingは多くの時間を室内で過ごす為、あどけない顔に白い肌を持ち合わせる少女だが、その手は長年に渡って使われたような労働者の手と見紛うほどだ。「私の夢は北京五輪で金メダルを取ること」と語ったZhang Jingは、五輪出場を夢見る大勢の若い体操選手の内の一人。河南(Henan)省チームに所属し、上海で開かれている北京五輪予選を兼ねた全国大会に参加している。彼女の語った抱負は、上海に集まった全ての競技者と変わらない。栄光を勝ち取る選手は一握りといえど、国内のライバルとの争いが栄光への原動力となるということに議論の余地はない。
中国は1980年に行われた冬季レイクプラシッド五輪に初参加して以来、2004年のアテネ五輪までの金メダルの獲得数は既に米国に次いで2位となっている。中国の躍進に疑いはないが、練習方法やドーピング問題が王者としての中国の立場に影を落としている。成功の陰には、共産主義先導の1950年代に中国全土に広がった綿密に組まれたトレーニングプログラムがあり、400人から始まったプログラムだったが、今日では既に約40000人にも及ぶ子供たちがプロ選手のようにトレーニングに励んでいる。子供たちは3歳か或いはそれよりも早い段階で一人一人に見合った種目を選定する為に、生まれながらの能力に加えて、医学的な検査を行う。例えば、陸上110メートルハードルの世界記録保持者である劉翔(Liu Xiang)は、最初走り高跳びの選手としてスポーツ訓練施設に入ったものの骨のテストを行った結果、世界に通用するほどの背の高さに達しないという理由で走り高跳びのプログラムから外されたという過去がある。
若いアスリートは、それぞれに自分が何をしていこうかというアイデアがあるが、施設へ入所するとその選択肢の幅は狭まってしまう。中国代表の15歳、Hu Yuhongは「私の母が体操は高くジャンするのに適していると言ったのです。そうなのかと思った私は、面白そうだと思って体育学校に行こうと決めました。ただ、体操が私にとってどんな意味を成すかを理解するには(入学時には)幼すぎました」と語った。何個かのテストに合格し学校に入学すると、チャンピオン育成の為の1日8時間、週6日の厳しいトレーニングスケジュールが組まれる。このプログラムは、数百万ドルをかけてアスリートを育成するこの厳格なものであり、滅多に抜け出すことが出来ないとされる。Zhangは「辞めたくてもコーチが辞めさせてくれません」、練習は「ただただ辛くてつまらない」と、AFPがインタビューした何人かの生徒と同様な意見を語った。
また栄光を求めるアスリートは、しばしば怪我との戦いを強いられることもあるが、その中には結果的に酷い状態に陥る選手たちもいる。その批難の矛先はしばしばコーチに向けられ、ドーピングを含め非常に厳しい練習方法が取りざたされると、国際的な機関が練習内容の調査にまで乗り出してきた。2005年、ボート競技での五輪金メダリストの英国人のマシュー・ピンセント(Matthew Pinsent)氏が北京の体育学校を視察した折、コーチに殴打される生徒を目撃するなど、コーチの非難の対象になるような行為が示された。
若いZhang Jingでさえ練習方法に対して疑問を抱いている。「コーチはいつも難しい動きをするように強制するんです。私はたまにそれが出来ないのですが、それでもコーチは何度も何度もするように言います。金メダルを取るには難しい事をしないといけないけど、Wang Yanに起こったようなことが私にも起こるんじゃないかと思うと怖いんです」と、全国大会で事故にあった選手を引き合いに出し、コーチの厳しさを語った。そのWang Yanは、平行棒の競技中に首を骨折し一生車椅子での生活を強いられる可能性に直面している。中国代表コーチの張佩文(Zhang Peiwen)氏は、競技前に新たなルーティーンの導入を示唆していた。「困難なルーティーンを披露するということは、冬の間のトレーニングの状況を示し、北京五輪の好成績得るためだ」とした。「18歳までにメダルを取らなければ、後はコーチになるしかない。他の職に就くなど考えたこともありませんから。選手権で勝つか、コーチになるかそれしかないんです」と、厳しい中国体操界の現状を語った。
中国で最も有名なコーチといえば、1990年代初頭から活躍した馬軍団として知られる女子陸上の長距離陣を率いた馬俊仁(Ma Junren)氏である。馬軍団は、高地で厳しい練習を繰り返し行うことで有名で、元マラソン選手の艾冬梅(Ai Dongmei)さんは、毎日60キロを走るという練習を強制されて足に後遺症を持つまでになってしまった。馬俊仁氏に指示を受けた選手としては女子5000メートルと10000メートルの世界記録保持者の王軍霞(Wang Junxia)が有名だが、同氏が選手に与えていた冬中夏草と亀の血から作り出した漢方薬の存在もその活躍と共に世に広まった。しかし、2000年のシドニー五輪で馬軍団の選手がドーピング検査の結果の為、開幕前に中国選手団から外されたこともあり、馬俊仁氏は陸上競技からは引退している。また、女子競泳では1994年にローマで行われた第7回世界選手権 (7th World Swimming Championships)で16種目中12種目で金メダルを勝ち取ったものの、その後のドーピング検査で陽性となった12人中7人が優勝を剥奪されている。中国は、スポーツ選手が不正行為を行う国というイメージを払拭しなければならない。
(c)AFP/Benjamin Morgan
中国は1980年に行われた冬季レイクプラシッド五輪に初参加して以来、2004年のアテネ五輪までの金メダルの獲得数は既に米国に次いで2位となっている。中国の躍進に疑いはないが、練習方法やドーピング問題が王者としての中国の立場に影を落としている。成功の陰には、共産主義先導の1950年代に中国全土に広がった綿密に組まれたトレーニングプログラムがあり、400人から始まったプログラムだったが、今日では既に約40000人にも及ぶ子供たちがプロ選手のようにトレーニングに励んでいる。子供たちは3歳か或いはそれよりも早い段階で一人一人に見合った種目を選定する為に、生まれながらの能力に加えて、医学的な検査を行う。例えば、陸上110メートルハードルの世界記録保持者である劉翔(Liu Xiang)は、最初走り高跳びの選手としてスポーツ訓練施設に入ったものの骨のテストを行った結果、世界に通用するほどの背の高さに達しないという理由で走り高跳びのプログラムから外されたという過去がある。
若いアスリートは、それぞれに自分が何をしていこうかというアイデアがあるが、施設へ入所するとその選択肢の幅は狭まってしまう。中国代表の15歳、Hu Yuhongは「私の母が体操は高くジャンするのに適していると言ったのです。そうなのかと思った私は、面白そうだと思って体育学校に行こうと決めました。ただ、体操が私にとってどんな意味を成すかを理解するには(入学時には)幼すぎました」と語った。何個かのテストに合格し学校に入学すると、チャンピオン育成の為の1日8時間、週6日の厳しいトレーニングスケジュールが組まれる。このプログラムは、数百万ドルをかけてアスリートを育成するこの厳格なものであり、滅多に抜け出すことが出来ないとされる。Zhangは「辞めたくてもコーチが辞めさせてくれません」、練習は「ただただ辛くてつまらない」と、AFPがインタビューした何人かの生徒と同様な意見を語った。
また栄光を求めるアスリートは、しばしば怪我との戦いを強いられることもあるが、その中には結果的に酷い状態に陥る選手たちもいる。その批難の矛先はしばしばコーチに向けられ、ドーピングを含め非常に厳しい練習方法が取りざたされると、国際的な機関が練習内容の調査にまで乗り出してきた。2005年、ボート競技での五輪金メダリストの英国人のマシュー・ピンセント(Matthew Pinsent)氏が北京の体育学校を視察した折、コーチに殴打される生徒を目撃するなど、コーチの非難の対象になるような行為が示された。
若いZhang Jingでさえ練習方法に対して疑問を抱いている。「コーチはいつも難しい動きをするように強制するんです。私はたまにそれが出来ないのですが、それでもコーチは何度も何度もするように言います。金メダルを取るには難しい事をしないといけないけど、Wang Yanに起こったようなことが私にも起こるんじゃないかと思うと怖いんです」と、全国大会で事故にあった選手を引き合いに出し、コーチの厳しさを語った。そのWang Yanは、平行棒の競技中に首を骨折し一生車椅子での生活を強いられる可能性に直面している。中国代表コーチの張佩文(Zhang Peiwen)氏は、競技前に新たなルーティーンの導入を示唆していた。「困難なルーティーンを披露するということは、冬の間のトレーニングの状況を示し、北京五輪の好成績得るためだ」とした。「18歳までにメダルを取らなければ、後はコーチになるしかない。他の職に就くなど考えたこともありませんから。選手権で勝つか、コーチになるかそれしかないんです」と、厳しい中国体操界の現状を語った。
中国で最も有名なコーチといえば、1990年代初頭から活躍した馬軍団として知られる女子陸上の長距離陣を率いた馬俊仁(Ma Junren)氏である。馬軍団は、高地で厳しい練習を繰り返し行うことで有名で、元マラソン選手の艾冬梅(Ai Dongmei)さんは、毎日60キロを走るという練習を強制されて足に後遺症を持つまでになってしまった。馬俊仁氏に指示を受けた選手としては女子5000メートルと10000メートルの世界記録保持者の王軍霞(Wang Junxia)が有名だが、同氏が選手に与えていた冬中夏草と亀の血から作り出した漢方薬の存在もその活躍と共に世に広まった。しかし、2000年のシドニー五輪で馬軍団の選手がドーピング検査の結果の為、開幕前に中国選手団から外されたこともあり、馬俊仁氏は陸上競技からは引退している。また、女子競泳では1994年にローマで行われた第7回世界選手権 (7th World Swimming Championships)で16種目中12種目で金メダルを勝ち取ったものの、その後のドーピング検査で陽性となった12人中7人が優勝を剥奪されている。中国は、スポーツ選手が不正行為を行う国というイメージを払拭しなければならない。
(c)AFP/Benjamin Morgan