【7月31日 AFP】(記事更新)サッカー元イングランド代表監督で、数々のクラブチームで指揮を執ったボビー・ロブソン(Bobby Robson)氏が31日、76歳で死去した。

 家族の代理人から「サー・ボビー・ロブソンが、長期にわたって勇敢に戦い続けたがんのため、永眠したことを深い悲しみと共にお伝えします。彼は、故郷ダーラム(Durham)の自宅で夫人や家族に看取られ今日(7月31日)、安らかに息を引き取りました。葬儀は近親者のみの密葬で行われます。友人や同僚の方々向けの感謝の儀は後日執り行われます。この困難なときにおいて、ロブソン夫人とご家族のプライバシーの尊重にご配慮ください」と、声明が発表されている。

 現役時代は1950年代から60年代前半にかけてフラム(Fulham)、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン(West Bromwich Albion、以下WBA)で活躍し、イングランド代表としても1958年のW杯スウェーデン大会に出場したロブソン氏は、1969年から82年にかけて指揮を執ったイプスウィッチ・タウン(Ipswich Town)で77-78シーズンにFAカップ(FA Cup)優勝、80-81シーズンにUEFA杯(UEFA Cup)を制して初の欧州タイトルを獲得するなど成功を収め、指揮官として名を成した。

 1982年からイングランド代表監督に就任したロブソン氏は、84年の欧州選手権では本選出場はならなかったものの、86年のW杯メキシコ大会ではチームを準々決勝まで導いた。準々決勝でイングランドは、「神の手」と5人抜きゴールを見せたアルゼンチンのディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)の前に敗れている。ロブソン氏は「あれは神の手ではなかった。あれは悪党の手だった」と試合を振り返っている。

 1990年のW杯イタリア大会では、重圧による疲労の蓄積を理由に大会終了後の勇退を表明した。同大会でイングランドは若手のポール・ガスコイン(Paul Gascoigne)を中心にW杯初優勝を果たした1966年以来のベスト4まで駒を進めたが、準決勝で西ドイツ(当時)にPK戦で敗れた。

 その後、PSVアイントホーフェン(PSV Eindhoven)の監督に就任したロブソン氏は、欧州各国のクラブチームで多くの栄光を手にした。

 PSVでリーグ2連覇を達成したロブソン氏は、その後ポルトガルのFCポルト(FC Porto)でタイトルを獲得すると、1996年にはFCバルセロナ(FC Barcelona)の監督に就任し、スペイン国王杯(Copa del Rey)とUEFAカップウィナーズカップ(UEFA Cup Winners' Cup)の2冠を達成。自身の監督キャリア最大の足跡を残し、97-98シーズンには同クラブのゼネラル・マネージャーに就任した。

 1999年にロブソン氏は、66歳にして地元ダーラムにほど近いニューカッスル(Newcastle United)の監督に就任。しかし、長く遠ざかっていたクラブのリーグ優勝には手が届かなかった。2002年にはコマンダー(Commander of the Order of the British EmpireCBE)の称号を受勲したロブソン氏だったが、その2年後には前シーズンをリーグ5位で終えながらも、当時のオーナーに解任されている。

 ロブソン氏のサッカーに関する最後の仕事は、元アイルランド代表監督のスティーブ・ストーントン(Steve Staunton)氏の相談役としての仕事だった。

 ロブソン氏は、92年にオランダで初めてがんの診断を受け、95年には悪性腫瘍が頭部で発見、2007年2月には定期健診で肺にがんが見つかり、手術も不可能と診断されていた。その後、ロブソン氏はがん患者の寄付金調達のために自身の時間を費やし、サー・ボビー・ロブソン財団(Sir Bobby Robson Foundation)を設立した。

 がんによって生命の危機に瀕していることを明かした際、ロブソン氏は「伝えられたことを受け入れ、私はこの世を去るまでの時間を最大限に活かすことを決めたました。誰もがいつかは逝くのです。私は分刻みに人生を楽しんでいます」と語っていた。(c)AFP