【5月21日 AFP】スペイン1部リーグ、レアル・マドリード(Real Madrid)のジョゼ・モウリーニョ(Jose Mourinho)監督が指揮官を務めた3年の在任期間は、常に衝突の火種がくすぶっていた。

 ここでは、20日に発表された今季限りでの退団の伏線ともいえる4つの出来事を振り返る。

■選手に意図的な退場を指示 - 2010年11月

 賢くなろうとするあまり、モウリーニョ監督は欧州チャンピオンズリーグ2010-11(UEFA Champions League 2010-11)のグループリーグ終盤戦のアヤックス(Ajax)戦で、スペイン代表のセルヒオ・ラモス(Sergio Ramos)とシャビ・アロンソ(Xabi Alonso)に対して、意図的に退場になるよう指示を与えた。レアルにとっての消化試合だった一戦で、累積警告を帳消しにしてから決勝トーナメントに臨むことを目的としていた。

 しかし、控えGKイェルジ・デュデク(Jerzy Dudek)から正GKイケル・カシージャス(Iker Casillas)へ指示の伝達が用心深くなかったこともあり、後日不適切な行為があったとして欧州サッカー連盟(Union of European Football AssociationsUEFA)の規律委員会からモウリーニョ監督は罰金と2試合のベンチ入り禁止処分を言い渡された。また、ラモスとアロンソにはさらに1試合の出場停止処分が科された。

■バルサ寄りの判定に不満 - 2011年5月

 欧州チャンピオンズリーグ2010-11準決勝第1戦で永遠のライバル、FCバルセロナ(FC Barcelona)に0-2で敗れた際、ペペ(Pepe)が1発退場となった判定に対する批判をきっかけに、チェルシー(Chelsea)、インテル(Inter Milan)時代もバルセロナ戦で自軍の選手を退場させられていたモウリーニョ監督は、UEFAの審判団は常にバルセロナ寄りだと推論した。

「われわれの戦い方で負けるはずがなかった。ではなぜ負けたのか?国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)の宣伝をしていると同情を得やすいのか、スペインサッカー連盟(Real Federacion Espanola de FutbolRFEF)のアンヘル・マリア・ビリャール(Angel Maria Villar)会長と仲が良いからなのか、もしくは偉大なクラブに対する何らかの賛辞の表れか」

「0-0で順調に均衡を保っていたのに、彼はあの判定を下す必要があったのか?この問いに対して答えられるのはレフェリーだけだが、彼は答えない。昨年はインテルにいて、10人の戦いを強いられながら奇跡を起こした。今年はそういった奇跡の再現は不可能だった」

■相手アシスタントコーチに目潰し - 2011年8月

 前シーズンの欧州チャンピオンズリーグ準決勝の遺恨が残る中、11-12シーズンはスペイン・スーパーカップ(Spanish Super Cup 2011)でのエル・クラシコ(El Clasico)で幕を開けた。

 この第2戦でバルセロナが本拠地カンプ・ノウ・スタジアム(Camp Nou stadium)で終了間際に勝利をさらうと、モウリーニョ監督は当時バルセロナのアシスタントコーチを務めていたティト・ビラノバ(Tito Vilanova)現監督の目を指で突いた。

 意外にも暴行を働いたモウリーニョ監督への処分はなく、後になってモウリーニョ監督はビラノバが誰だかも知らなかったと言い放った。

■カシージャス外し - 2012年12月

 一触即発の状態が続いた最終シーズンでモウリーニョ監督は、スペイン代表で同国で絶大な人気を誇るカシージャスを先発から外し、スペインの全国民を敵に回した。

 代表でもクラブでも主将を務めるカシージャスだが、練習中に覇気が足りなかったことを不満に思ったモウリーニョ監督は先発を外し、代わりに経験の浅いアントニオ・アダン(Antonio Adan)をマラガ(Malaga CF)とレアル・ソシエダ(Real Sociedad)とのリーグ戦2試合に起用した。

 年が明けて2013年、カシージャスは正GKの座を取り戻したが、直後に左手の指を骨折して約3か月の戦線離脱を余儀なくされ、対立はくすぶり続けた。

 離脱を受けてモウリーニョ監督はGKディエゴ・ロペス(Diego Lopez)を獲得したが、復帰してからもカシージャスはモウリーニョ監督の下でピッチに立つことはなかった。これに対しモウリーニョ監督はゴールキーパーとしてロペスの優位性を繰り返し語っている。

(c)AFP/Kieran CANNING