【6月25日 AFP】サッカー欧州選手権2012(UEFA Euro 2012)で準々決勝敗退に終わったフランス代表のサミル・ナスリ(Samir Nasri)は、これまで包み隠さずに不満をぶちまけてきた同国歴代選手の中に名を連ねた。

 ニコラ・アネルカ(Nicolas Anelka)をはじめ、エリック・カントナ(Eric Cantona)氏、ジャン・フランソワ・ラリオ(Jean-Francois Larios)氏ら、これまで同代表の一部選手たちは新聞の一面などを賑わせてきた。

 23日に行われた欧州選手権2012準々決勝のスペイン戦後、記者に対し口汚い言葉を吐いたナスリは、フランス代表のイメージをに悪影響を及ぼしたことをローラン・ブラン(Laurent Blanc)監督に指摘されながらも、チームと一緒に帰国の途についた。

 しかしアネルカは、2010年W杯南アフリカ大会(2010 World Cup)1次リーグ、メキシコ戦のハーフタイム中に当時のレイモン・ドメネク(Raymond Domenech)監督に暴言を吐いて代表から追放され、大会中に1人で帰国を余儀なくされた。

 この時はチーム全体がアネルカの強制送還に抗議して練習を拒否するなど代表の内紛にまで発展したが、カントナ氏は個人的な不満からその短気さで暴挙に出た。

 当時22歳だったカントナ選手は、代表監督を務めていたアンリ・ミシェル(Henri Michel)氏が自分を代表から外したことに腹を立て、同氏に暴言を吐いて批判し、監督が退任するまでの1年間代表から追放された。

 このカントナ氏の暴言は決して友人やチームメイトに良い影響を与えるものではなかったが、ラリオ氏が犯した罪は同情を得ることすらできなかった。

 サンテティエンヌ(AS Saint-Etienne)のエースとして1970年代から80年代初頭にかけて活躍したラリオ氏は、1982年W杯スペイン大会でミシェル・プラティニ(Michel Platini)氏とともにフランス代表の主力選手だった。

 ところがラリオ氏は同大会中にプラティニ氏の妻との不倫疑惑が浮上し、強制帰国となった。その後プラティニ氏の権力はピッチ内外で上昇し、ラリオ氏が代表復帰を果たすことはなかった。(c)AFP/Pirate Irwin