【8月25日 AFP】19歳の佐藤摩弥(Maya Sato)選手は、長い髪を切って、携帯電話を手放し、涙を流しかけながらも、タフなオートレースの世界で男子選手を打ち負かした。

 レーサーたちが最高時速150キロを誇るブレーキ無しのバイクにまたがり、鉄をかぶせた靴で火花を散らしながらアスファルトのコースを周回するオートレースで、佐藤選手は7月に初勝利を挙げた。44年ぶりに登場した女性オートレーサーの佐藤選手はこの勝利で、観客が投票券を買い、選手が賞金を争う日本オートレース界を活性化させる新たな希望となった。

 6歳でモトクロスバイクに初めて乗った佐藤選手には、レーサーの血が流れている。

 数年前、オートレース界が1960年代以降では初めて女性レーサーに門戸を開くと、佐藤選手は学校を中退し、倍率50倍の狭き門をくぐり抜け、選手養成所に入所した。携帯電話とテレビが禁止され、若い生徒たちは食事を5分で済まさなければならないという軍隊のようなつらく厳しい養成所の生活も、佐藤選手は暮らしていれば慣れると言う。

 ファッションや、友達とのショッピングがどれほど大好きだったかを打ち明けた佐藤選手は、AFPに対し「泣きたいことがなかったと言ったら嘘になる。元々負けず嫌いで、(坊主頭にしたのは)気合いを入れるためということがあった。モトクロスを6歳からやっていて、将来バイクに乗る仕事に就きたいという気持ちがあった。オートレーサーになりたい気持ちの方が強いので、辞めるということは考えられなかった」と語った。

 佐藤選手の父、誠也(Seiya Sato)さんは「私と(佐藤選手の)兄がモトクロスをやっていたので、6歳頃から自分でバイクを乗り回すようになった。ヘルメットを買ってあげて、放し飼いにしていた」と振り返った。

 佐藤選手のバイクの名前は、米国の人気ドラマ『ゴシップ・ガール(Gossip Girl)』の登場人物から名付けた「セリーナ(Serena)」だ。「ドラマの中でのセリーナが精神的に強い女性だなという印象が強かったので、私も男の世界に入ってきて、強い女性になりたいと思ってつけた」と語る佐藤選手の決意は、デビュー2戦目で優勝という成果を挙げた。

 「デビュー戦が2着で、自分では悔しくて。周りから惜しかったねと言われたが、親だけはよく頑張ったと言ってくれて、ほっとしたというか嬉しかった」と佐藤選手は振り返った。

 地方自治体主催のオートレースは、競馬や競輪、競艇などの公営ギャンブルとともに第2次世界大戦後の日本で人気を誇り、戦後の復興にもつながった。しかしながら、スポーツの多様化もあり、観客動員数は長期に渡る不況のきっかけとなったバブル崩壊を迎えた1991年をピークに徐々に減少した。

 オートレースの広報担当は「一般的に昔と比べて、レジャーの楽しみ方、休日の過ごし方など、生活の変化に伴い、全般的にギャンブル離れが起きている」と話し、「オートレースを知っていただく流れがうまくできれば、売り上げ増につなげていけるのではないか」と佐藤選手のオートレース界への貢献に期待を寄せている。

 1990年代後半にアイドルグループのSMAPを脱退し、オートレーサーに転向した森且行(Katsuyuki Mori)選手も「とにかくレースをがんばってほしい。速くなってくれればお客さんも増えるだろうし、それしかない。怪我をしないように速く走って、僕たちと(同じ)S級(トップランク)になってほしい。それくらいまでがんばってほしい」と期待を口にしている。

 佐藤選手は7月に女子サッカーW杯ドイツ大会(FIFA Women's World Cup 2011)で優勝したサッカー女子日本代表のなでしこジャパンに刺激を受けたことを明かし、「感動だったり勇気だったりを与えられるようになれたらいいなと思う」と語った。(c)AFP/Yuka Ito