【8月19日 AFP】フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)に参戦するフェラーリ(Ferrari)の創設者、エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)氏の25回忌を迎え、スポーツ史に残る偉大な人物の記憶が呼び覚まされた。

 F1史屈指の知名度を誇るイタリアの高級スポーツ車メーカー、フェラーリの生みの親であるエンツォ氏は、1988年8月14日、イタリア・モデナ(Modena)の自宅で90歳の生涯に幕を閉じた。エンツォ氏の訃報にイタリアは悲しみに暮れ、モータースポーツ界は敬意を表した。

 そして、同年9月11日に開催されたイタリアGP(Italian Grand Prix)では、まさに神がかり的な出来事が起きた。

 当時、アラン・プロスト(Alain Prost)やアイルトン・セナ(Ayrton Senna)を擁した「マクラーレン・ホンダ(McLaren-Honda)」の全盛期にあって、フェラーリのゲルハルト・ベルガー(Gerhard Berger)とミケーレ・アルボレート(Michele Alboreto)が、母国で劇的なワン・ツーフィニッシュを遂げたのである。

 水疱瘡(みずぼうそう)を患ったナイジェル・マンセル(Nigel Mansell)の代わりに参戦したジャン・ルイ・シュレッサー(Jean-Louis Schlesser)が、残り2周となった周回の最初のシケインでトップを走っていたセナと接触したためだった。

 同シーズン、マクラーレン・ホンダが優勝を逃した唯一のレースがこのイタリアGPだった。

 1973年にエンツォ氏からF1チームのマネジャーに任命されたルカ・ディ・モンテゼーモロ(Luca di Montezemolo)現会長は、何よりもチームが優先されるべきであり、マシンのパフォーマンスが何よりも重要であるという「オールドマン(エンツォ氏の愛称)」の信念は、今も色褪せることなく根付いていると確信している。

「エンツォ・フェラーリが示した模範は、いつも私の心の中にある。彼は、他を圧倒するような車を作り上げるという夢を実現した。彼の意志の強さ、情熱、人間性の賜物であり、それらは男女問わず彼の名前を背負っているフェラーリの全従業員のDNAの一部となっている」

「25年の時を経て、今日のフェラーリの姿を見れば彼も満足するだろう。メーカーとしても、レースチームとしても特異な地位を築いており、イタリアならではの秀逸さで世界中にいる数多くの高級車ファンを魅了し続ける」

 エンツォ氏が死去した25年前までに、フェラーリは9度のドライバーズタイトル獲得、8度のコンストラクターズ選手権優勝という功績を残し、F1史で最も成功したチームとなった。

 しかし、最近は所属ドライバーのフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)やフェリペ・マッサ(Felipe Massa)が、レッドブル(Red Bull)勢やメルセデスAMG(Mercedes AMG)勢に押されており、フェラーリは覇権を失いつつある。

 それでも、チームが確立したブランドイメージや精神は今も変わらず存在している。

 フェラーリは1950年以降、全シーズンに参戦している唯一のチームであり、通算15度のドライバーズタイトル、16度のコンストラクターズ選手権制覇を誇り、通算862レースで221勝を挙げている。

 フェラーリは、23日にスパ・フランコルシャン(Spa-Francorchamps)で開幕するベルギーGP(Belgian Grand Prix 2013)で巻き返しを狙う後半戦に弾みをつけ、1988年のイタリアGPを彷彿とさせるような感動を呼ぶ結果を望んでいる。(c)AFP/Tim COLLINGS