割れるサッチャー氏の評価、世界の女性指導者たちの反応は
このニュースをシェア
【4月16日 AFP】8日に死去した英国のマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)元首相は、欧州初の民主的に選ばれた女性首脳だった。だが「鉄の女(Iron Lady)」と評されたサッチャー氏は、世界の女性政治家たちに世代を超えて刺激を与えた一方、苛立ちの元にもなった。その評価は割れている。
■「お手本にはしなかった」
「私は、彼女から何かを学んだだろうか。答えはノーだ」。1981年にノルウェー初の女性首相に就いたノルウェー労働党のグロ・ハーレム・ブルントラント(Gro Harlem Brundtland)氏は、形式的な追悼の言葉を述べつつ、同時代に共に一国の首脳となったサッチャー氏を手本としたことは一度もないと言い切る。
ブルントラント氏はAFPの電子メール取材に対し、自身の政治スタイルを確立したのはサッチャー氏が英首相に就任する前だったと答えた。
サッチャー氏もブルントラント氏も、男性が独占してきた政界の「ガラスの天井」を突き破った女性だ。だが、2人の間に共通点はほとんどない。ブルントラント氏が福祉国家に深く根差した左派政治家だったのに対し、サッチャー氏は自由主義を擁護する保守派だった。そして、ブルントラント氏の政治手法がコンセンサス(合意構成)を重視したものだったのに対し、サッチャー氏は抵抗勢力との衝突をも辞さなかった。
■「フェミニズムは毒」、女性登用に無関心だったサッチャー氏
女性運動を強く支持してきたブルントラント氏が1986年に閣僚の約半数が女性という画期的な内閣を組閣したころ、北海を隔てた英国でサッチャー氏は「フェミニズムは毒」と語っている。
ブルントラント氏は回想する。「女性閣僚を増やすつもりはあるのかと尋ねてみたが、サッチャー氏はまるでこの問題に関心がないようで、英議会には閣僚に抜擢できるほど有能な女性はほとんどいない、と答えただけだった」「彼女は保守党の党首でもあり、多くの分野で男女平等を率先して推進できる立場にあったのに、彼女にはピンと来ないようだった」
11年間に及んだ首相在任中、サッチャー氏が身近に置いた政治家は男性ばかりで、女性は英史上初の女性上院議長となったジャネット・ヤング(Janet Young)氏ただ1人だった。
■女性政治家に「道開いた」
もちろん、当時の女性政治指導者の中には、たとえ政治的立場は違っても、女性に政治家への道を切り開いた人物としてサッチャー氏を評価する人も少なくない。
1991~92年に仏首相を務めた仏社会党のエディット・クレッソン(Edith Cresson)氏は、サッチャー氏について「自分が求めるものを確実に知っていた」確固たる信念を持った指導者で、刺激を受けたと語る。
クレッソン氏は、北アイルランドの刑務所で反政府武装組織「アイルランド共和軍(IRA)」の活動家たちが続けていた抗議のハンガーストライキをサッチャー氏が止めようとせず、活動家たちが死亡する結果を招いた事件に触れ、同氏の政治手法に何度か行き過ぎがあったというのは「正当な批判」だと指摘しつつ、政治の世界では「対話を求めるのか、それとも結果が欲しいのかをはっきり認識する必要がある」とも述べた。
1993年にカナダの首相に就任し、北米初の女性首脳となったキム・キャンベル(Kim Campbell)氏が抱くサッチャー氏の印象は、さらに輝かしいものだ。キャンベル氏は米公共テレビPBSで、「まさに彼女は、他の国でも女性がリーダーを務められると証明してくれた人だ」とべた褒めした。
■女性の歴史を変えたか
キャンベル氏はまた、サッチャー氏は「毅然とした態度を取るなら女性らしくあることは無理だ、とか、国を率い国民を戦場に送る心づもりがあるような人物は、本当の女性ではあり得ない、などといった固定観念」を打ち砕いたとも評価している。
「私たちは多かれ少なかれ、彼女に恩義があると思います。しかも彼女にはお手本とする女性はいなかったのですから」(キャンベル氏)
サッチャー氏の退陣から20年を経て、各国の女性指導者の間には感傷も見受けられる。
ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相は、「女性が民主主義政治体制のトップに就くことが普通ではなかった時代に、彼女は後進の女性たちに前例を作ってくれた」と語った。
オーストラリアのジュリア・ギラード(Julia Gillard)首相も、サッチャー氏は「女性の歴史を変えた」と評価している。(c)AFP
■「お手本にはしなかった」
「私は、彼女から何かを学んだだろうか。答えはノーだ」。1981年にノルウェー初の女性首相に就いたノルウェー労働党のグロ・ハーレム・ブルントラント(Gro Harlem Brundtland)氏は、形式的な追悼の言葉を述べつつ、同時代に共に一国の首脳となったサッチャー氏を手本としたことは一度もないと言い切る。
ブルントラント氏はAFPの電子メール取材に対し、自身の政治スタイルを確立したのはサッチャー氏が英首相に就任する前だったと答えた。
サッチャー氏もブルントラント氏も、男性が独占してきた政界の「ガラスの天井」を突き破った女性だ。だが、2人の間に共通点はほとんどない。ブルントラント氏が福祉国家に深く根差した左派政治家だったのに対し、サッチャー氏は自由主義を擁護する保守派だった。そして、ブルントラント氏の政治手法がコンセンサス(合意構成)を重視したものだったのに対し、サッチャー氏は抵抗勢力との衝突をも辞さなかった。
■「フェミニズムは毒」、女性登用に無関心だったサッチャー氏
女性運動を強く支持してきたブルントラント氏が1986年に閣僚の約半数が女性という画期的な内閣を組閣したころ、北海を隔てた英国でサッチャー氏は「フェミニズムは毒」と語っている。
ブルントラント氏は回想する。「女性閣僚を増やすつもりはあるのかと尋ねてみたが、サッチャー氏はまるでこの問題に関心がないようで、英議会には閣僚に抜擢できるほど有能な女性はほとんどいない、と答えただけだった」「彼女は保守党の党首でもあり、多くの分野で男女平等を率先して推進できる立場にあったのに、彼女にはピンと来ないようだった」
11年間に及んだ首相在任中、サッチャー氏が身近に置いた政治家は男性ばかりで、女性は英史上初の女性上院議長となったジャネット・ヤング(Janet Young)氏ただ1人だった。
■女性政治家に「道開いた」
もちろん、当時の女性政治指導者の中には、たとえ政治的立場は違っても、女性に政治家への道を切り開いた人物としてサッチャー氏を評価する人も少なくない。
1991~92年に仏首相を務めた仏社会党のエディット・クレッソン(Edith Cresson)氏は、サッチャー氏について「自分が求めるものを確実に知っていた」確固たる信念を持った指導者で、刺激を受けたと語る。
クレッソン氏は、北アイルランドの刑務所で反政府武装組織「アイルランド共和軍(IRA)」の活動家たちが続けていた抗議のハンガーストライキをサッチャー氏が止めようとせず、活動家たちが死亡する結果を招いた事件に触れ、同氏の政治手法に何度か行き過ぎがあったというのは「正当な批判」だと指摘しつつ、政治の世界では「対話を求めるのか、それとも結果が欲しいのかをはっきり認識する必要がある」とも述べた。
1993年にカナダの首相に就任し、北米初の女性首脳となったキム・キャンベル(Kim Campbell)氏が抱くサッチャー氏の印象は、さらに輝かしいものだ。キャンベル氏は米公共テレビPBSで、「まさに彼女は、他の国でも女性がリーダーを務められると証明してくれた人だ」とべた褒めした。
■女性の歴史を変えたか
キャンベル氏はまた、サッチャー氏は「毅然とした態度を取るなら女性らしくあることは無理だ、とか、国を率い国民を戦場に送る心づもりがあるような人物は、本当の女性ではあり得ない、などといった固定観念」を打ち砕いたとも評価している。
「私たちは多かれ少なかれ、彼女に恩義があると思います。しかも彼女にはお手本とする女性はいなかったのですから」(キャンベル氏)
サッチャー氏の退陣から20年を経て、各国の女性指導者の間には感傷も見受けられる。
ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相は、「女性が民主主義政治体制のトップに就くことが普通ではなかった時代に、彼女は後進の女性たちに前例を作ってくれた」と語った。
オーストラリアのジュリア・ギラード(Julia Gillard)首相も、サッチャー氏は「女性の歴史を変えた」と評価している。(c)AFP