ウィキリークス、米外交公電の「検索可能な」アーカイブを公開
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【4月9日 AFP】内部告発サイトのウィキリークス(WikiLeaks)は8日、すでに公開されている1973~76年の米国務省文書170万点を、検索可能なアーカイブとして公開した。ウィキリークスは透明性にとっての勝利とたたえている。
ウィキリークスは、このアーカイブを当時国務長官だったヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)氏の名前を採って「キッシンジャー・ケーブルス(Kissinger Cables)」と命名。アーカイブには機密扱いが解かれた文書と、ウィキリークスが2010年に公開した外交公電25万点が含まれている。
ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジ(Julian Assange)氏は、1973~76年の外交公電はすでに公開されていたものの、米国国立公文書館(US National Archives)でPDF形式でしか見ることができなかったと指摘。またこれら公電が「機密扱いと複雑さの境界に隠されていた」と述べた。
アサンジ氏は、これら公開資料が再び機密扱いになる可能性もあるとしながら、2006年のジョージ・ワシントン大学(George Washington University)の研究機関による調査では、およそ5万5000点の政府文書が秘密裏に再び機密扱いにされていたことが判明していることにも触れた。
これに対し米国立公文書館は、1973~76年の文書は2006年以降公開されていると述べ、ユーザーが日付と主題、タグで検索できる国立公文書館のウェブサイトへのリンクを提供した。(c)AFP/Joseph Krauss
ウィキリークスは、このアーカイブを当時国務長官だったヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)氏の名前を採って「キッシンジャー・ケーブルス(Kissinger Cables)」と命名。アーカイブには機密扱いが解かれた文書と、ウィキリークスが2010年に公開した外交公電25万点が含まれている。
ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジ(Julian Assange)氏は、1973~76年の外交公電はすでに公開されていたものの、米国国立公文書館(US National Archives)でPDF形式でしか見ることができなかったと指摘。またこれら公電が「機密扱いと複雑さの境界に隠されていた」と述べた。
アサンジ氏は、これら公開資料が再び機密扱いになる可能性もあるとしながら、2006年のジョージ・ワシントン大学(George Washington University)の研究機関による調査では、およそ5万5000点の政府文書が秘密裏に再び機密扱いにされていたことが判明していることにも触れた。
これに対し米国立公文書館は、1973~76年の文書は2006年以降公開されていると述べ、ユーザーが日付と主題、タグで検索できる国立公文書館のウェブサイトへのリンクを提供した。(c)AFP/Joseph Krauss