【2月8日 AFP】香港が中国へ返還されて16年、現地の世論で中国政府に対する不満が膨らむなか、抗議デモで意外な「象徴」が掲げられるようになった──英植民地時代の旗だ。

 香港では昨年7月、親中派の梁振英(Leung Chun-ying)氏が前任の曾蔭権(Donald Tsang)氏から香港特別行政区長官を引き継いだ。この梁行政長官に対する抗議デモが最近、盛んになっており、その中でたびたび目にするのが、香港紋章と英国旗ユニオンジャックを組み合わせた英植民地時代の青い旗だ。

 梁長官の方針をめぐり、香港は2つに分裂しつつある。支持派は梁長官が住宅や公共サービスといった社会問題に取り組んでいると評価しているが、批判派は長官を中国中央政府の「手先」とみなし、広がる貧富の格差に怒りをあらわにしている。

 梁長官は就任後、学校教育に中国への愛国心を養う新教科を導入しようとしたが、子供たちを洗脳し、中国本土で教えている信条を受け入れさせる試みだとして大規模な抗議デモが相次ぎ発生。9月になって計画の撤回を余儀なくされた。

■「価値観と法の支配が破壊された」

 植民地時代の旗を掲げるグループの発起人ダニー・チャン(Danny Chan)氏(26)は、中国政府の「侵略」から16年たち香港の暮らしが悪化したのが動機だと説明する一方、決して英国に再び支配されることを望んでいるからではないと強調する。「われわれの自由も何もかもが、(返還以来)下り坂の一途をたどっている」。米SNSフェイスブック(Facebook)に作られた「私たちは中国人ではない、香港人だ(We're Hong Kongese, not Chinese)」と題したチャン氏のグループには、3万人近くが支持を表明している。

 香港は2047年までは「一国二制度」の下、中国の特別行政区として高度な自治権を持ち、抗議する権利など中国本土ではみられない市民的自由が尊重されている。しかしチャン氏によれば、高止まりした住宅価格と拡大する一方の所得格差を背景に、抗議デモはかつてより頻繁に起きるようになった。「香港人」の多くは、暮らしが悪くなったのは本土から流入してくる中国人移住者たちのせいだと非難している。

 チャン氏は、植民地時代の旗は1997年の返還以降、香港における法の支配が浸食されてきたことに対する怒りの象徴だと語る。「香港の基本的価値観と法による支配は徐々に破壊され、ほとんど何も残らなくなってしまった」。コンピューター・エンジニアのチャン氏は今年1月1日も、梁長官の辞任を求めるデモで植民地時代の旗を振った。

■「古き良き時代」は「誤解」

 昨年秋に発足した中国の新指導部は、アジアの金融拠点たる香港の秩序と安定を切望している。そのような状況下で植民地時代の香港の旗を見かける機会が増えている事実は、緊張を生んでいる。

 文化・教育の国際交流を推進する英機関ブリティッシュ・カウンシル(British Council)は最近、期せずしてその論争に巻き込まれた。香港で開かれたある教育関連フェアの宣伝に英国旗を使用したことが注目を集めたのだ。フェイスブックの在香港英領事館のページには、教育フェアのポスター画像へのリンクとともに「偉大なる英国(グレートブリテン)が偉大なる香港(グレートホンコン)を築いた」といった皮肉が投稿される騒ぎに発展。ブリティッシュ・カウンシルは「誤解を避けるため」、早々に広告を撤去した。

 一方、香港とマカオを管轄する中国政府の官庁、国務院香港マカオ事務弁公室の副主任をかつて務めた陳佐洱(Chen Zuoer)氏は昨年、植民地時代の旗を掲げる行為について「歴史博物館に送ってしまうべきだ」と批判。香港政界の民主派からも、「古き良き時代」のイメージは全くの見当違いであり、70年代に大規模な一掃作戦が行われるまで香港には腐敗や不正行為が蔓延していたと指摘する声が出ている。

 長髪で知られる政治家、梁國雄(Leung Kwok Hung) 氏率いる政党「社会民主連線(社民連、League of Social Democrats)」に所属する呉文遠(Avery Ng)氏は言う。「植民地時代に自由はなく、われわれの権利も否定されていた。1980年代後半になって(植民地)政府が人々の信頼を得て、クリーンだとみなされるようになったのだ」

 社会民主連線は、現行制度に置き換わる完全な民主制を香港に導入するよう求めている。呉氏は「現在の世論の感情は理解するが、人々がむしろ植民地時代を懐かしむとは、香港にとって非常に悲しいことだ」と述べた。(c)AFP/Beh Lih Yi