母語を守る戦い、ミャンマーの少数民族
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【10月25日 AFP】たった1冊の教科書が、軍政下のミャンマーで半世紀にわたってシャン人の言語であるシャン語を子どもたちに伝えてきた。
数十年に及んだ内戦の末に、改革に前向きな政府が少数民族の武装勢力に歩み寄りを示している今こそ、昔のように公立学校で少数民族の言語を教えられるようにするべきだとの声が高まっている。
「シャン語はシャン人の生命線。言語がなくなれば、民族そのものも共に消えるかもしれない」と、シャン州の州都タウンジー(Taunggyi)にあるシャン文学文化協会(Shan Literature and Cultural Association、SLCA)のサイ・カム・シント(Sai Kham Sint)会長は語る。
軍政が文化的多様性を排除するためにシャン語の授業を廃止したため、同国東部のシャン州では長年にわたって、シャン語教科書のコピー本を私塾で使ってきた。
SLCAの開くサマースクールでは、シャン語の基本的な読み書きと会話を教えている。また、恋人たちが死後、星になるというシャン語で書かれた文芸作品「クン・サン・ローとナン・オー・ピン(Khun San Law and Nan Oo Pyin)」などを、子どもたちに読ませている。
シャン語の活動家たちは、今年になってようやく、教科書の最新版を出版できる可能性を感じるようになったという。
SLCAのサイ・カム・シント会長は、公立学校でシャン語を「何も恐れることなく」教えることができるようになれば、シャン語の存続に役立つだろうと語る。
■民族意識の中心にある言語
隣国タイのタイ語と近い関係にあるシャン語は、ビルマとも呼ばれるミャンマーで話されている約100の言語と方言のうちの1つだ。
ミャンマーにはモン人やチン人、カレン人など130以上の少数民族が暮らしているが、シャン人と同じように、いくつかの民族が、公式の教育課程に自分たちの母語を加えるよう政府に働きかけ始めている。
「ビルマの未来にとって、民族問題は間違いなく中心的な課題」と語るのは、「Christian Solidarity Worldwide」の活動家で作家のベネディクト・ロジャース(Benedict Rogers)氏。
「仮にビルマに民主主義的な制度が完備されたとしても、少数民族との衝突や弾圧があれば、民主主義がその力を完全に発揮することは決してないだろう」とロジャース氏は指摘する。
1948年にミャンマーが植民地支配から独立して以降、少数民族の武装勢力は自治を求めて戦ってきた。1962年に軍が権力を掌握してからは、政府と少数民族の関係はいっそう悪化した。軍がレイプや拷問、村人の虐殺といった残虐な対暴動戦術を取ったことで、少数民族はさらに苦しめられた。
昨年3月に名目上は民政に移行した現政権は、ほぼ全ての少数民族武装勢力と暫定停戦合意を結んだ。とはいえ、恒久的な政治的決着への道筋は不透明で、北部のカチン(Kachin)州ではまだ戦闘が続いている。
■「少数民族はビルマ語を学ぶべきだ」、政府高官
政府高官の間には今なお、文化的アイデンティティーに対する冷淡さがある。政府軍の兵士として、蜂起した少数民族と対峙してきた高官は多い。
少数民族との和平プロセスに携わるある高官は「われわれはビルマ語を共通語として使っているのだから、少数民族はビルマ語を学ぶべきだ」とAFPの取材に語った。「自分たちの民族の言語を学びたいのなら、自由時間に学べばよい」
自身もシャン人であるサイ・マウ・カン(Sai Mauk Kham)副大統領は9月、休日に少数民族の言語を学習する制度は整ったものの、学校の授業でこれらの言語を教えることは非常に困難だろうと語っている。
多くの地域で複数の方言が使われていることや、軍政下で教育制度が崩壊したことを考えると、すべての言語を学校で教えることは不可能だという声もある。また、ミャンマーが外の世界に門戸を開き始めた中で、中国語と英語をはじめとする外国語の能力が不可欠と考えられるようになってきた。
シャン人が使ってきた教科書は、軍政が始まる直前の1961年に出版され、学校で使われたものだった。ヘビやゾウ、托鉢の鉢を持った僧侶の美しいイラストは、当時の暮らしぶりをしのばせる。この教科書の著者、タン・ケル(Tang Kel)氏は90歳を超えた今もタウンジーで暮らし、尊敬を集めている。新版ではイラストが写真に置き換えられているが、文面は旧版と全く同じだ。
「コンピューターのある時代だけれど、シャン語の教科書にはそれを指す単語がない。ラジオもだ。われわれの言語にはラジオを意味する単語がないのだ」と、あるSLCA会員は語った。「電子メールとインターネットを意味する単語を発明しなければならないね」(c)AFP/Kelly Macnamara