【10月22日 AFP】ベトナム戦争に反対した米政界リベラル派の大物で、1972年の米大統領選でリチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領に大敗したジョージ・マクガバン(George McGovern)元上院議員が21日、サウスダコタ(South Dakota)州のホスピスで死去した。90歳だった。

 家族が出した声明によると、マクガバン氏は同州スーフォールズ(Sioux Falls)のホスピスで21日午前5時15分(日本時間同日午後7時15分)ごろ亡くなった。

 マクガバン氏は1922年7月19日、サウスダコタ州生まれ。19歳で陸軍航空隊に入り、第2次世界大戦では欧州でB24爆撃機のパイロットとして35回出撃した。

 1957年から1961年まで下院議員を務め、翌年から任期6年の上院議員を3期務めたマクガバン氏は1972年の大統領選で民主党の指名候補となり女性や若者など幅広い支持を集めた。当時、都市部の白人労働者と労働組合が主な支持基盤だった民主党は、これによって現在の支持基盤の中核である女性やマイノリティー、学生活動家に支持層を拡大した。

 この選挙運動には当時20代半ばだったビル・クリントン(Bill Clinton)元大統領とヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)現国務長官も参加した。この「お礼」としてマクガバン氏の支持者らは、2008年の大統領選でバラク・オバマ(Barack Obama)現大統領と民主党候補指名を争っていたヒラリー・クリントン氏の支持に回った。

■1972年大統領選で米政治史に残る大敗北

 しかし副大統領候補のトーマス・イーグルトン(Thomas Eagleton)上院議員(当時)がうつ病で3度の入院歴があり電気ショック療法を受けていたことを暴露されて、勝利したのはマサチューセッツ(Massachusetts)州とワシントンD.C.(Washington D.C.)だけという米政治史に残る大敗北を喫した。マクガバン氏はイーグルトン氏の病気のことを知らなかった。現在、副大統領候補を選ぶ際に徹底的な人物調査が行われているのにはこういった背景もある。
 
 マクガバン氏は世界の飢餓問題に精力的に取り組み、1961年にはジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領の下で米国の余剰農産物を食糧支援に回すフード・フォー・ピース(Food for Peace)プログラム担当の特別補佐官として活躍した。

 マクガバン氏は1998年から2001年にかけてイタリア・ローマ(Rome)の国連食糧農業機関(Food and Agriculture OrganizationFAO)の米国代表を務め、当時のクリントン米大統領は2000年8月、マクガバン氏に文民最高位の「大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)」を贈った。(c)AFP