「男の国」で次期大統領目指す女性政治家、アフガニスタン
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【5月8日 AFP】アフガニスタン女性の権利運動の先頭に立ち、作家で国会議員で、いずれは大統領にもと期待されるフォージア・クーフィ(Fawzia Koofi)氏(36)が語ってくれたエピソードからは、女性として「男の国」に生きるとはどういうことかが垣間見える。
最近、首都カブール(Kabul)の大統領府から歩き出したところで、保守系のある男性議員が近づいて来て言った。「クーフィさん、大統領選にお出になるようですが・・・大統領府にお住まいになりたいのでしたら、大統領となる人物と結婚してはいかがですか?」
議会近くの借家でAFPのインタビューに応じたクーフィ氏の瞳は、数週間経った今でも怒りに燃えていた。「女性が大統領に立候補するのは本人が適格だからではなく、大統領府に住みたいからだと思うのが彼らの見方です」
この男性議員に対しクーフィ氏は、30年間に及ぶアフガニスタンの戦闘の中でうさんくさい過去を抱えた男たちとは違い、自分は大統領府の警備にかくまわれる必要などないと言い返した。「彼らが私に対抗してきたときに嬉しくなることもある。それは、彼らにとって私が無視できない存在で、彼らが私を強い人間だと見なしているからだと思うから。そこで私は、そういった人たちの望みどおりに一撃を加えてあげるの」
■女性にとって「最悪の国」で立ち上がる
米ニュースサイト「デーリー・ビースト(Daily Beast)」の「恐れを知らない女性150人」の1人に今年選ばれたクーフィ氏は、アフガニスタン議会の女性と人権委員会の委員長を務める。夫は亡くなっている。2人の娘に捧げた回顧録『Letters to my Daughters』(娘たちへの手紙)は、女性にとって世界で最悪の国と呼ばれることさえあるアフガニスタンで成長した少女が直面したとてつもない困難と克服の物語だ。
クーフィ氏は産まれた直後、悲観した母親によって太陽が照りつける場所に置き去りにされ、殺されそうになった。母は、23人の子どもがいる夫の7番目の妻だった。自分が産んだ新しい子どもを夫は認めてくれないと分かっていたのだ。
しかし、太陽に焼かれながらほぼ丸1日泣き叫び続けた産まれたばかりのクーフィ氏は後悔した母の元に戻され、愛されながら育つことになった。この時の日焼けの痕は10代になるまで残ったが、その傷も、ましてや心の傷も、イスラム女性の装いに身を包んだエレガントで自信に満ちたクーフィ氏からは感じられない。
部屋の壁には2人の男性の写真があった。1人は厳格な表情をしたクーフィ氏の父親だ。政治家だったが、クーフィ氏が3歳の時に殺された。直接話しかけられたことは1度しかない。しかも、向こうへ行っていろという一言だった。
■タリバンに歩み寄るカルザイ大統領、タリバン化逆行への懸念
もう1人の男性は、クーフィ氏と一緒に写っているハミド・カルザイ(Hamid Karzai)大統領だ。クーフィ氏は、カルザイ氏のファンではない。それどころか、旧支配勢力タリバン(Taliban)を含む保守派の支持を獲得するために、女性の権利を「差し出そうとしている」として大統領を糾弾している。
タリバン政権下では、女子は学校教育を禁じられ、全身をすっぽりと覆うブルカ以外のものを着た女性は往来でむち打たれ、姦通を疑われた女性は石打ちで死刑にされた。しかし厳しい状況にありながらどうにか良い教育を受けてきたクーフィ氏は、この10年間でアフガニスタンの女性たちには「絶好の機会」が与えられてきたと評価する。
そのクーフィ氏が最も心配するのは、ようやく女性たちが手にしてきたものが、和解のための対話にタリバンを引き込み、2014年の北大西洋条約機構(NATO)軍撤退後にタリバンと政権を共有するために犠牲にされるのではないかという点だ。「妥協はすでに起きている。タリバン化は進行中だ。政府内部の者がすでにタリバン的なイデオロギーや考え方を推進している」
3月、同国のイスラム教の最高権威であるウラマー(イスラム法学者)評議会(Ulema Council)が出した「男性が基本であり、女性は副次的である」という宗教令にカルザイ大統領は支持を表明している。この宗教令は男女が同じ場所で働くことや、女性だけで旅行することを禁じ、場合によっては妻を殴打することを正当化するなど、タリバン時代に後戻りするような内容だった。
クーフィ氏は憤る。「(カルザイ氏は)これがアフガニスタン国民が求めているものだと言って、公然とこれを認めたのです。でも、これが人々の求めているものだとは、私は思わない。私たちはイスラム教徒ですが、イスラムについての私たちの理解の仕方と、タリバンの理解の仕方は違う」
クーフィ氏はたとえ自分の命を危険にさらすことがあっても、力の限り尽くす決意だ。「アフガニスタンでは、女性が政界にいること、女性が自分の信念のために立ち上がることには常に危険が伴う。私はこれまでに何度も暗殺の標的や誘拐の標的になってきた。けれど、誰かがリスクを負わなければならないと思う」
カルザイ大統領が1期5年を2期までという任期制限に達する2014年の大統領選に、クーフィ氏は立候補する決意を固めている。男性優位社会のこの国では惨敗間違いなしという予測に対しクーフィ氏は、若者や女性、教育を受けたエリート、そして農村部でも、変化を望む強い要望があると反論する。
クーフィ氏の地元は北東部のへき地バダフシャン(Badakhshan)州だ。「ここの人たちは10年前は女性に強烈に厳しく当たってきた。それが今では私に投票してくれている。そう、変化は可能なのです。世界の友人たちの政治的、精神的支援次第なのです」
インタビューが終わる頃、クーフィ氏はインタビュー最後の写真を撮るため、テニスをしていた12歳と13歳の2人の娘を呼び寄せた。テニスは、わずか10年前にはアフガニスタンの女性が禁じられていた多くのささやかな楽しみの1つだ。(c)AFP/Lawrence Bartlett
最近、首都カブール(Kabul)の大統領府から歩き出したところで、保守系のある男性議員が近づいて来て言った。「クーフィさん、大統領選にお出になるようですが・・・大統領府にお住まいになりたいのでしたら、大統領となる人物と結婚してはいかがですか?」
議会近くの借家でAFPのインタビューに応じたクーフィ氏の瞳は、数週間経った今でも怒りに燃えていた。「女性が大統領に立候補するのは本人が適格だからではなく、大統領府に住みたいからだと思うのが彼らの見方です」
この男性議員に対しクーフィ氏は、30年間に及ぶアフガニスタンの戦闘の中でうさんくさい過去を抱えた男たちとは違い、自分は大統領府の警備にかくまわれる必要などないと言い返した。「彼らが私に対抗してきたときに嬉しくなることもある。それは、彼らにとって私が無視できない存在で、彼らが私を強い人間だと見なしているからだと思うから。そこで私は、そういった人たちの望みどおりに一撃を加えてあげるの」
■女性にとって「最悪の国」で立ち上がる
米ニュースサイト「デーリー・ビースト(Daily Beast)」の「恐れを知らない女性150人」の1人に今年選ばれたクーフィ氏は、アフガニスタン議会の女性と人権委員会の委員長を務める。夫は亡くなっている。2人の娘に捧げた回顧録『Letters to my Daughters』(娘たちへの手紙)は、女性にとって世界で最悪の国と呼ばれることさえあるアフガニスタンで成長した少女が直面したとてつもない困難と克服の物語だ。
クーフィ氏は産まれた直後、悲観した母親によって太陽が照りつける場所に置き去りにされ、殺されそうになった。母は、23人の子どもがいる夫の7番目の妻だった。自分が産んだ新しい子どもを夫は認めてくれないと分かっていたのだ。
しかし、太陽に焼かれながらほぼ丸1日泣き叫び続けた産まれたばかりのクーフィ氏は後悔した母の元に戻され、愛されながら育つことになった。この時の日焼けの痕は10代になるまで残ったが、その傷も、ましてや心の傷も、イスラム女性の装いに身を包んだエレガントで自信に満ちたクーフィ氏からは感じられない。
部屋の壁には2人の男性の写真があった。1人は厳格な表情をしたクーフィ氏の父親だ。政治家だったが、クーフィ氏が3歳の時に殺された。直接話しかけられたことは1度しかない。しかも、向こうへ行っていろという一言だった。
■タリバンに歩み寄るカルザイ大統領、タリバン化逆行への懸念
もう1人の男性は、クーフィ氏と一緒に写っているハミド・カルザイ(Hamid Karzai)大統領だ。クーフィ氏は、カルザイ氏のファンではない。それどころか、旧支配勢力タリバン(Taliban)を含む保守派の支持を獲得するために、女性の権利を「差し出そうとしている」として大統領を糾弾している。
タリバン政権下では、女子は学校教育を禁じられ、全身をすっぽりと覆うブルカ以外のものを着た女性は往来でむち打たれ、姦通を疑われた女性は石打ちで死刑にされた。しかし厳しい状況にありながらどうにか良い教育を受けてきたクーフィ氏は、この10年間でアフガニスタンの女性たちには「絶好の機会」が与えられてきたと評価する。
そのクーフィ氏が最も心配するのは、ようやく女性たちが手にしてきたものが、和解のための対話にタリバンを引き込み、2014年の北大西洋条約機構(NATO)軍撤退後にタリバンと政権を共有するために犠牲にされるのではないかという点だ。「妥協はすでに起きている。タリバン化は進行中だ。政府内部の者がすでにタリバン的なイデオロギーや考え方を推進している」
3月、同国のイスラム教の最高権威であるウラマー(イスラム法学者)評議会(Ulema Council)が出した「男性が基本であり、女性は副次的である」という宗教令にカルザイ大統領は支持を表明している。この宗教令は男女が同じ場所で働くことや、女性だけで旅行することを禁じ、場合によっては妻を殴打することを正当化するなど、タリバン時代に後戻りするような内容だった。
クーフィ氏は憤る。「(カルザイ氏は)これがアフガニスタン国民が求めているものだと言って、公然とこれを認めたのです。でも、これが人々の求めているものだとは、私は思わない。私たちはイスラム教徒ですが、イスラムについての私たちの理解の仕方と、タリバンの理解の仕方は違う」
クーフィ氏はたとえ自分の命を危険にさらすことがあっても、力の限り尽くす決意だ。「アフガニスタンでは、女性が政界にいること、女性が自分の信念のために立ち上がることには常に危険が伴う。私はこれまでに何度も暗殺の標的や誘拐の標的になってきた。けれど、誰かがリスクを負わなければならないと思う」
カルザイ大統領が1期5年を2期までという任期制限に達する2014年の大統領選に、クーフィ氏は立候補する決意を固めている。男性優位社会のこの国では惨敗間違いなしという予測に対しクーフィ氏は、若者や女性、教育を受けたエリート、そして農村部でも、変化を望む強い要望があると反論する。
クーフィ氏の地元は北東部のへき地バダフシャン(Badakhshan)州だ。「ここの人たちは10年前は女性に強烈に厳しく当たってきた。それが今では私に投票してくれている。そう、変化は可能なのです。世界の友人たちの政治的、精神的支援次第なのです」
インタビューが終わる頃、クーフィ氏はインタビュー最後の写真を撮るため、テニスをしていた12歳と13歳の2人の娘を呼び寄せた。テニスは、わずか10年前にはアフガニスタンの女性が禁じられていた多くのささやかな楽しみの1つだ。(c)AFP/Lawrence Bartlett