【10月21日 AFP】米国のジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)前政権下で国務長官を務めたコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)氏が、近く発売される回顧録の中で、20日に殺害されたリビアのムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)大佐から「アフリカのプリンセス」と呼ばれるなど「少々不気味な執着」を向けられた体験を語っている。

 ニュースサイト、デーリー・ビースト(The Daily Beast)は20日付で、ライス氏の回顧録『No Higher Honor(最高の栄誉)』から、2008年9月にリビアの首都トリポリ(Tripoli)で行われた同国の最高指導者(当時)と米国務長官の歴史的な会談に関する回想を引用した。

■写真や歌・・・ライス長官への個人的な執着

 会談の場所は、1986年にロナルド・レーガン(Ronald Reagan)米大統領(当時)が命じたリビア空爆で標的とされたカダフィ官邸、バブ・アジジア(Bab al-Azizia)。このトリポリの会談は、数十年間にわたって国際的に孤立していたリビアが、外交舞台に復帰する先触れだった。この歴史的会合について、ライス前長官は「1953年以来、初めて米国務長官がリビアを訪問したということは、この国が国際的容認に向けて歩み出す大きな道しるべになるはずだった」と記している。

 しかし「カダフィはわたし(ライス前長官)に対し、個人的に少々不気味な執着を見せ、(大佐を)訪れた者たちに、なぜ自分の『アフリカのプリンセス』は会いに来ないのか、などと尋ねていた」という。

 カダフィ大佐との会談前、ライス前長官は周囲から、カダフィ大佐が「まともでない」振る舞いをしても「いつかは元に戻る」ので無視するよう、忠告を受けていた。しかし、ライス氏の疑念はたちまち確信に変わった。「彼は突然、話すのを止めると、頭を前後に回し始めた。そして『ブッシュ大統領に告げたまえ。イスラエルとパレスチナの2国家共存を語ることなど止めろ!』と叫んだ。『1国家しかありえない。イスラエルチナ(Israeltine)だ!』」

 ライス前長官はこう続ける。「その次にわたしが言ったことが、彼の気に障ったのだろう。彼はいきなり同席していた2人の通訳を怒鳴りつけた。『オーケー、これがカダフィだ』とわたしは思った」

 会談後、カダフィ大佐はライス氏を自分のプライベート・キッチンでの夕食に誘った。その席でカダフィ大佐はライス氏に、彼女が各国指導者たちと会談した際の写真の「コレクション」を見せ、さらにリビアの作曲家がライス氏のために作ったという「ホワイトハウスの黒い花」と題する歌を聞かせた。ライス氏は「異様ではあったけれど、性的な感じは受けなかった」と振り返っている。

■「自分の頭の中だけで生きる」カダフィ大佐

 会談の内容は、9.11米同時多発テロ後の2003年にカダフィ大佐が大量破壊兵器の保持を断念する決心をしたことや、1988年にリビア情報機関要員によってパンアメリカン(Pan Am)航空103便が英スコットランド(Scotland)ロッカビー(Lockerbie)上空で爆破された事件での犠牲者遺族への金銭的補償の必要性などが中心だった。

「明確な外交的駆け引きだった。代わりにわれわれは、彼ら(リビア)が国際社会において良好な位置を取り戻せるよう支援しようとした。しかし、それは容易なことではなかったし、(難しかった理由は)長年のカダフィの蛮行の歴史だけによるものでもなかった」

 やがてリビアは国際社会に復帰したが、今年起きた「アラブの春」が招いた結果は、カダフィ大佐が予測しきれなかったことだろうとライス長官は推測している。「あの訪問を終えて実感したことは、カダフィがいかに自分の頭の中だけに生きているかということだった」

「自分の周りで起きていることさえ、彼は完全に理解しているのかどうか、わたしには疑問だった。非常に危険な大量破壊兵器を彼から取り上げることができたことは、わたしにとって心底、喜ばしいことだった。あの自分の砦から、最後に追い詰められた瞬間、彼が大量破壊兵器を使ったであろうことを、わたしは疑わない」 (c)AFP

【関連記事】カダフィ大佐の寝室でライス前米国務長官の写真アルバム見つかる