【2月14日 AFP】虫に食われ、黄色く変色した書類が、うだるほど暑い巨大テントに腰の高さまでドサッと積まれている。この手つかずの紙の山が、もうすぐ誕生するはずの世界で最も新しい国家の歴史を作るのだ。

 キリスト教徒の多いスーダン南部は前月行われた住民投票で、アラブ系イスラム教徒が多い北部からの分離独立を約99%の支持で決定、7月9日の独立宣言を目指して進めている準備の一環が「過去の保存」だ。

「大変な仕事ですが、手遅れになる前にこの書類を保存することが重要なんです」と公文書保管人のユセフ・フルヘンシオ・オニアラ(Youssef Fulgensio Onyalla)氏は語る。オニアラ氏はスーダン南部自治政府が任命した「レスキュー隊」のリーダーとして全公文書のデジタル化に取り組んでいる。

 アラビア語と英語の書類が滅茶苦茶に混ざった紙の山の傍らには、1920年代の政治情勢報告書や伝統的な盾と槍、約100年前に英国の行政官が作成した手書きの地図などが見える。ありふれた書類と貴重な文書がなんの脈絡もなく束になった、司書たちにとって悪夢ともいえる紙の山を、ほこりをかぶった故ガファル・ヌメイリ(Gaafar Nimeiri)スーダン元大統領の肖像が見つめている。

 しかし歴史家にとってこの雑然とした束は、長きにわたり揺れ続けたスーダン南部の過去を明らかにする宝の山だ。「ここにある書類を整理し、目録を作る私たちの仕事はスーダン南部の歴史にとって最優先課題です」とオニアラ氏は語る。新たに国境を画定するための交渉が基としているのは英国とエジプトの共同統治下にあった時代の地図だが、司書たちは南北スーダンの境界確定交渉に関連しそうな書類はどんなものでも注意深くより分けている。境界付近には膨大な利益が見込める油田が存在するからだ。

 北部政権と南部の反政府勢力との内戦は半世紀に及び、第2次スーダン内戦の22年間でスーダン南部は荒廃した。政府軍が駐屯したジュバ(Juba)を制した反政府勢力軍は、植民地時代の文書を重要なものとみなさなかった。「持ち出されてしまったものや、洪水に遭ったものなど、たくさんの文章がだめになってしまった」と言う。

■新たな国の記憶

 ここにある19世紀初期から1980年代までの公文書は推計2万点。文書の年代は英・エジプトによる共同統治時代から独立後間もない時期、そして最近の内戦が始まる時期にまで及ぶ。スーダン南部の文化遺産相は「遺産を保存することは、歴史を保存することだ。将来の世代が研究資料として、そして自分たちのルーツや国の歴史をたどることができる資料として利用できるようにしたい」

 作業中のテントは2007年に、こうした公文書を保管する目的で設置された。しかしオニアラ氏は、「雨露はしのげますが、日が射すと暑くなりすぎて長時間この場所にはいられません」と眉毛の汗をぬぐいながら話してくれた。「なるべく早くデジタル化できるよう作業を進めています」(オニアラ氏)

 スーダン南部は、いつの日か公文書館を設立したいと考えている。それは単なる歴史文書の保管場所を意味するだけではない。ここに至るまでに犠牲になった者たちの血の記録でもあり、その記録の上に、アフリカで最も若い国は自らのアイデンティティを築いていくことになる。

 デジタル化を支援している米研究機関でリフト・バレー・インスティテュート(Rift Valley Institute)の所長で、米バード大学(Bard College)の人類学者ジョン・ライル(John Ryle)教授はこう言う。「スーダン南部のほぼ全ての住民が共有することは数少ないが、抑圧され、搾取された体験はそのひとつだ。それがここに記録されている。だからこそ極めて重要なのだ」

 この地に新しく生まれる国は、世界の開発途上地域の中で最も開発が遅れ、病院や学校、道路などが極めて不足した国として誕生するだろう。しかし、国家建設は単なる建設事業ではないと、ライル氏は忠告する。「国造りは道路やインフラを作ることではない。いくつもの異質な民族的アイデンティティから、国民国家としてのアイデンティティを創出する作業だ」

 その意味での国家造りこそがスーダン南部の将来の平和を確立する上で重要だと、自らもスーダン南部の出身で、米ロヨラ・メリーマウント大学(Loyola Marymount University)で歴史学を教えるジョク・マダット・ジョク(Jok Madut Jok)教授も同意する。

「独立の高揚感には新国家建設の困難が伴うだろう。新しい国は通常、物質的・インフラ的な発展や社会サービスの提供に注力したがるものだが、新国家建設というのは、それ以上のことをしなければならないプロジェクトなのだ」。ジョク氏はさらに続ける。「新しい国家として、スーダン南部は国民国家にならなければならない」

 蒸し暑いテントの中で、1972年の停戦協定が調印された後の数年間に制作されたポスターを見せてもらい、当時に思いを馳せた。長い紛争期間の中で、その後10年の間、戦いが止んだ時だ。そして今と同様、スーダン南部が平和な未来を夢見た時だった。

 そのポスターには「ツーリズムはユーリズム(観光はあなたのもの)、野生動物保護のパラダイス」と書かれ、広大なスーダン南部を歩くゾウやアンテロープ、キリンなどのイラストが添えられていた。「こういうポスターをまた作りたいですね」とオニアラ氏は声を弾ませる。「観光客にまたスーダン南部に来てもらいたいですから」

(c)AFP/Peter Martell