「カーネーション」から「ジャスミン」まで、革命を彩る名前たち
このニュースをシェア
【1月18日 AFP】チュニジアで23年間続いたジン・アビディン・ベンアリ(Zine El Abidine Ben Ali)大統領の強権体制を崩壊させた市民らによる運動は、同国を代表する花にちなみ「ジャスミン革命」と呼ばれる。
世界にはこれまでにも象徴的な名前で呼ばれる市民革命があった。以下に、その代表的なものを挙げる。
■ ポルトガル:「カーネーション革命(Carnation Revolution)」
1974年4月25日、軍部若手将校らが無血クーデターで、マルセロ・カエターノ(Marcello Caetano)首相の政権を倒し、48年間続いた独裁体制に終止符を打った。
将校たちは銃口にカーネーションを挿し、将校の無血革命を支持した市民たちもカーネーションを身につけたことから「カーネーション革命」と呼ばれるようになった。
■ 旧チェコスロバキア:「ビロード革命(Velvet Revolution)」
1989年11月、共産主義体制下のチェコスロバキアで、劇作家バーツラフ・ハベル(Vaclav Havel)らの反体制派グループが主導する反政府デモが拡大し、共産党政権を崩壊に追い込んだ。流血もなくビロードのように滑らかに革命が進んだことから、「ビロード革命」と名づけられた。
その1993年1月1日にチェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離して個々の独立国家となり、ハベルはチェコの初代大統領に就任した。
■ グルジア:「バラ革命(Rose Revolution)」
2003年11月23日、3週間前に行われた議会選挙の無効を訴える野党支持者らが、ミハイル・サーカシビリ(Mikhail Saakashvili)らに率いられ議会を占拠。国際社会からの圧力もあり、エドゥアルド・シェワルナゼ(Eduard Shevardnadze)大統領は翌日、辞任を表明した。このとき、議会に乗り込んだ市民らが、バラの花を手にしていたことから「バラ革命」と呼ばれる。
翌04年1月に行われた大統領選で、サーカシビリが96.2%の高得票率で大統領に当選した。
■ ウクライナ:「オレンジ革命(Orange Revolution)」
2004年11月22日、親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)首相が勝利したとされた大統領選の決選投票で不正があったと主張する市民らが、首都キエフ(Kiev)で大規模な抗議行動を展開。決選投票のやり直しが決まり、翌05年1月の投票で野党候補ビクトル・ユーシェンコ(Viktor Yuschenko)元首相が大統領に当選した。
ユーシェンコ陣営のシンボルカラーがオレンジ色だったことから「オレンジ革命」と呼ばれるようになった。
■ キルギス:「チューリップ革命(Tulip Revolution)」
2005年3月24日、議会選での不正や政権腐敗に抗議する市民らの抗議運動が拡大し、市民らが政府庁舎を占拠。アスカル・アカエフ(Askar Akayev)大統領は国外へ逃れ、15年続いたアカエフ政権は崩壊した。
4か月後の7月10日に行われた大統領選で、抗議運動の主導者の1人だったクルマンベク・バキエフ(Kurmanbek Bakiyev)元首相が当選した。
「チューリップ革命」という名称は、アカエフ大統領自身が、グルジアとウクライナで起きたような色の名前のついた革命(カラー革命)をキルギスで起こしてはならないと述べた演説の中で使ったもの。(c)AFP