【4月8日 AFP】5月に実施される英総選挙で、13年ぶりの政権返り咲きを目指す保守党をけん引しているのが党首、デービッド・キャメロン(David Cameron)氏(43)だ。

 2005年に党首就任。総選挙で3連敗を重ね、すっかり政権奪取の機会をつかみ損ねていた保守党の中道右派路線を鮮やかに「近代化」した立役者だ。さらにはマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)政権以来、長年同党のアキレス腱となってきた欧州連合(EU)との距離感をめぐる党内亀裂を埋め、昨今の議員経費乱用問題では労働党のゴードン・ブラウン(Gordon Brown)現首相を追い詰めている。

 しかしブラウン政権を追い落として、本当に21世紀初の保守党政権を実現しうるかについては、まだ疑問の余地がある。

■上流階級、エリート、政治家としても王道を進む

 キャメロン党首に対する批判で多いのは、名門校イートン校からオックスフォード大(Oxford University)卒の上流階級であるがゆえ、庶民の問題に対する理解能力に欠けるのではないかという疑問符や、経験や明確なイデオロギーがなく中身が薄いといった人物像の評価だ。

 大学卒業後はまっすぐ保守党に入党し、メジャー政権下のノーマン・ラモント(Norman Lamont)元英蔵相の助言役に駆け上がった。その後、7年間は政治から離れ、英メディア大手グループ、カールトン(Carlton)の幹部として活躍。再び国会議事堂の門をくぐったのは2001年、母校オックスフォードに近い英南部の地方区ウィットニー(Witney)から確実な議席を狙って出馬し、下院議員に当選した。

 しかしひとたび議員生活に戻ると、キャメロン氏は再びまたたく間にトップへと上り詰めた。2004年には「影の内閣」のメンバーに抜擢され、04年に保守党が総選挙で3連敗目を喫した翌年に党首の座に就いた。
 
■「思いやりある保守主義」によるタカ派路線の転換

 そのキャメロン党首の肩にかかった最初の仕事は、保守党が掲げてきたブランドの「毒抜き」だった。

「トーリー(Tories)」(保守党の通称)といえば、移民に対する規制強化や、女性や少数民族に対する排他的態度といったタカ派の姿勢が従来の伝統だった。しかしキャメロン党首は「思いやりのある保守主義」のキャッチフレーズを掲げ、その保守党をもっと中道で大衆迎合的な党に変革する戦略をとった。

 環境問題や「壊れた英国」と彼が呼ぶところの社会問題の解決に対する取り組みは、明らかにそれまでの保守党との決別を図っていた。
 
 そうしたキャメロン党首の動向を労働党は「巧妙だ」と批判するが、外野の攻撃も意に介せず、キャメロン氏は自宅にテレビカメラを招き入れもした。そして視聴者を前に、09年に亡くなった息子イバン君が身体に障害をもっていたことで、国営医療制度への支持など、現在の自分の政治姿勢が築けたと語った。

■不況後の再転換が本音?

 しかし保守党は09年初頭の大不況でもう一度、方向転換した。ブラウン政権が国家債務の削減を先送りにする中、キャメロン氏はそれまでの公的サービス支持の姿勢から、債務削減が急務だと認める方向に転換した。

 労働党はキャメロン氏の経験不足では不況を乗り切れないと、国民の不安をあおろうとしたが、キャメロン氏は動じなかった。その頑とした態度は、09年に「欧州統合懐疑派」との批判を恐れず、EU新条約「リスボン条約(Lisbon Treaty)」に基づいて英国の権限をEUに委譲する場合には、国民投票の実施を確約した際と同様だった。

 経費乱用問題で記録的な数の議員が辞職し、政治情勢が激しく揺らぐ中、キャメロン氏は今年の年頭に「政治が壊れている。2010年は新しい政治の年にしよう」と一言抱負を語った。(c)AFP/Katherine Haddon